2019年度・オタクの映画感想(羅小黒・プロメア・名ピカetc)
絵を入れたのはなんとなく...だけど映画とか見た後絵にした方が自分がどこが印象に残ったのか後から思い出しやすいからいいかも
はやく映画館で映画見れるようになりたいね〜〜
政治表明すべきと他人に言うことについて
楽しいこともいっぱいあるけど、も~~~~~~て思うこともあり書く記事です
タイトル通り政治関連の話。だけど私自身の支持政党とかの話はしません(必要がないので)
大前提として友達が政治の話をするのは別に気にならない、と言っておく(多すぎると気になる、というか心配にはなるけど・・・)
そういう考え方の人なんだな~と知ることができるし、今更その程度で嫌いになったりしないので
今回言いたいのは
「オタクアカウントや趣味アカウント、仕事アカウントでも、政治表明すべき!」
だったり、
「何も言わないのは良くない!!」
という主張が最近目につくたびに、も~~~~~!と思うので何故、も~~~~~~!!と思うのかという話
まず「みんな政治の話をもっとするべき」論が間違っているとは思わない。
そして「政治の話をした作家や芸能人が叩かれる」のは間違ってると思います。(叩かれる理由が政治表明のみだった場合)
「政治の話がタブーされているのはあまりよくないから、もっとしていい世の中にしたいよね」(かなり簡単表現にした)という意見を言うこと自体は間違ってないと思う。
ただそれと同時に、政治の話をしたがらない人や、趣味で楽しかったTLがそういう話一色になってつらい、という人を否定するような空気作りをすることは絶対よくないと思う。
「政治の話をすることが絶対にいい世の中だ」と疑わない人は、この辺りを無遠慮に踏み越えてくるから、正直嫌い。あほ!!だまれ!!て思う(急に感情的) 踏み越えてこなければ全然大丈夫です
誰かが考えたことをどこで発信するか、どこまでのコミュニティに自己開示するかは個人の自由でしょうが
敵を作らないためにノンポリを貫く人がいてもいいし、自分の意思をファンに伝えるために表明する人がいるのも自由。(所属してる会社とかに迷惑かけるようなやり方はどうなん?と思うけど)
そう言いづらい空気を作ることは、「政治の話をしづらい空気作り」と大差ないでしょうが、と思う
言い方の問題でもあるんだけど...
同じ「政治の話をもっとしろ」という主張を持っていても、
A「みんなが政治の話をタブー視しないでできる世の中が理想なのでは?と私は思う」
という文章と、
B「政治の話をタブー視することが今の悪政を作り上げたんだ!沈黙は罪である」
という言い方では全く違う。
沈黙自体が罪だとは言い切れない。あきらかに事実として起こっている不利(例えば東ティモールの虐殺とか)を知りつつ声を上げないのは非道徳的かもしれないけど、それでも声を上げない人にも権利があるし、大体どこで声を出すかは自由なんだよツイッターで言ってなくても10個あるアカウントのうち1つで言ってるかもしれないしリアルの信頼できる人にだけ言ってるかもしれないじゃん
言わない理由も人それぞれで、私生活に精いっぱいで政治のことを考える余裕がない人もいれば、じっくり勉強してからでないと発信したくない人もいる、もっと言えば投票に行かない理由だって人それぞれだよ
なのに「怠惰だ」「自分たちの将来に責任を持て」と責めるようなのは、違うんとちゃう?と思います
というか、そういう責め方をすることに罪がないと思ってることが嫌い。(これは感情)
「こういう責め方をすることは本当はよくないかもしれないけれど、みんなに行動変容してほしいからそれを承知で言ってるんだ」
というならば別の言い方になると思うし、そういう認識がないから、人を責めたり気まずい思いをさせる言い方になるんだと思いますよ そういう言い方してる人、増えてる気がするんだよ...
ただ上記に関して、自分は絶対同じことをしない、という自信は正直ない。
普段冷静な人であっても
「自分が正しい!」とヒートアップしている間は他人を責めるような言い方をするので...
だからこそここ(ブログ)に書き留めて起きたかったというのが今回の記事。
「自分は絶対正しい!」と思っている時って、平気で人に失礼なことを言ったり(いや私は普段から結構失礼な人間ではあるんだけど)、情報を間違って読み取って拡散したりしがちなので、
「はぁ~~~~~~~!?」と思った時こそ、「ん~~~~~~」て立ち止まりたいね、という話です
自己開示を他人に要求すること
もう一つ、少し別の方向での「も~~~~~~!!!」を書く
4月頭から、
「オタクも発信すべき!」とか
「星野源ももう一声、政治表明してほしかった」
等、「自分の希望」としてではなく、「世の中的に正しいこと」のつもりで他人に自己開示を強要している意見を多く見るようになって、嫌(感情です)
※上記に関しては、特定のツイートを見たわけではなく私が「こういうツイートなんだか見るようになったなぁ」と感じているだけなので、こういうことを言う人が存在しない可能性は捨て切れません
いや別に、思ったことを言うことは全然いいと思うんだよ
「好きなアーティストや友達に自分の味方に付いてほしい」て思うこと自体は否定されるべき感情ではないので
ただ、それが完全に自分の要望であって、「受け入れられて当然」でないことを認識すべきだと思うんだよ
例えば、
「欧米ではアーティストが政治表明するのは当たり前!だから星野源も表明すべき」
だったり、
「芸術家はエンターテイナーではなく、もともと悪政に抗議するために生まれた。芸術家こそ表明を」
みたいな、「これは世間的に正しいことだ、だから彼らもこうあるべきだ」という言い方をする人。(政治表明したアーティストに対するバッシングの擁護として持ち出してくるなら OK)
他人がどういう理由で政治表明してようが、個人には関係なく、一番に尊重されるべきは本人の意思なんですが、それを自分の主張を通したいがために、蔑ろにしているという自覚がないのが、も~~~~~~~!!!!ってなる
「自分の意見が自己開示の押し付けである」ことを認識している場合は
「めちゃ勝手なこと言うけど~」とか、「これは私の希望だけど~、」みたいな前置きをなんとなく付けてしまう気がする。
それと私だったら鍵空いてるアカウントでは言わない。どう捉えられるか捕捉しきれないから。(これはまぁ個人の裁量だと思うが)
私は人の考えを聞くのは基本的に好きです。
むしろめんどくさいオタクの話はたくさん聞きたい。不穏なの好きだし面白いから
ただ、その根拠が「海外では~」だったり、「そもそもエンターテイメントとは~」だったり、根拠が曖昧な引用を持ってこられると困ってしまう それはあなたの意見なの?
自分の意見に自信がないから他所から引用しているのでは?と疑ってかかってしまう
政治の話を、どこでも、誰でも、抵抗なくディスカッションできる社会が来るか?
「政治の話をしても仲違いしない世の中になればいいよね」という人がいる。
私はそれはかなり現実的ではない理想だと思う。 現状よりオープンになる可能性はあるとしても、違った意見を持つ人たちが仲たがいをしない世の中なんて多分訪れない。
欧米はもっとオープンに話してる!みたいなことを言う人がいいるけど...それが完全に良い関係を招いているかどうかは、言い切れなくないか?
同じ作品が好きでも攻めと受けが違うだけで分かり合えないんだぞ人間は
人間は違った意見を持つのだから認め合うべき!は道徳目標として掲げててもいいんだけど、
要はその中でバランスをとったり、差別しないことが重要なのであって、違う存在がいてもスルーしろ!やっていけ!というのは無理がある
政治ツイートしかしなくなってしまったフォロワーを「壊れてしまったフォロワー」と表現したツイートについて、この言い方は物議かもすやろ・・・とは確かに思ったんだけど、
一方で気を使わなくていい快適空間を作り出したい、というこの人たちのことを「これだからオタクは!」て否定すべきではないと思うんだよ(この場合先制攻撃したのはオタクだったけどストレスを溜めていた彼らの気持ちも否定されるべきものではない・・・)
趣味のコミュニティで、「このコミュニティでは政治・恋愛・野球・宗教・収入・家族の話はしないでおこうね~~」
という暗黙のルールがあること自体は、全然外野が口出すことじゃないと私は思うよ
だって、「こういう主張を持っているけど、多くの人を不快にするからここでは言わないでおこう」が人それぞれにあるのが当たり前じゃん。政治の話だけでなく。
例えば私はしいたけ占いが嫌いで、友達なくすくらいdisれる自信はあるんだけど、
しいたけ占いが好きな友達を不快にさせたくないから、言う場所はすごく限定している。
「政治表明が正しいこと」だと思い込み、履き違えかけている人って、それぞれコミュニティごとに話題をより分けて気を遣いながら生きてるだけなのに、
「政治の話だけ避けるのは異常!!」て言ってきたりするから、も〜〜〜〜〜・・・・となる
彼らの「みんなにもっと考えてほしい」という思いもわかるので、そう言ってくること自体は無視するべきではないんだけど、言う側はそれ相応の丁寧な説得が必要だと思うんだよ、「自分が圧倒的正義で、理解してもらって当然」だと思わずに・・・
あなたがそれを大事にしてるのと同じくらい、好きなコミュニティで傷つかずにやっていくことを大事にしている人たちもいるということ、「自分が絶対正しい」と思っている限りは気付くことができないと思う
最後にこれは単純文句のレベル!!!!
「政治に興味を持て」ていう人って、「政治に興味を持ってほしい」わけではなく、
「自分たちの味方をしてほしい」もしくは「興味を持った結果相手が自分の味方をしてくれることを期待してる」のだと思うのに、「興味を持て」て言ってくるのが、気持ち悪さを感じる。
意見を持った結果どっちに転んでもいい、とは思ってないでしょ!?と突っ込みたくなる
「正しい」言い方をせずに、素直に自分がどうしてほしいか、自分の言葉で言うくらいの勇気を持てばいいのになぁ
おしまい!!
もちろん今後私の中で意見が変わる可能性もあるので、私はここに書いた私の意見が絶対に正しいとは思わない 下書きに戻す可能性もだいぶ高い 自分用なので
このトピックで私はこう思う!みたいな他人の意見は聞きたいな〜
インドネシアで暮らした1年間
2019年4月末から2020年3月まで、インドネシアにいた。
本当は4月末に帰国する予定が、コロナウイルスの影響で約1ヶ月早まり、バタバタと隔離や引っ越しや職場復帰やなんやらで4月は過ぎていって、GWになってやっと1年を振り返るか〜〜〜という気持ちになったので書く
報告書は書きまくったけど、些細なことや個人的なことは書けなかったので自分用にとどめておきたい
総括すると超楽しかったな〜〜〜という感じです インドネシアすごく好きになった また旅行で絶対行く
この記事は旅行についてはあまり書きませんがインドネシアのお気に入りの写真をちょいちょい挟みます
何でインドネシアに行ったか
国の協力隊プログラムです。といってもボランティアや国際協力にもともと興味があった!というわけでなく、会社の人材育成プログラムに手を上げて行かせてもらったという経緯
協力隊は希望国をある程度選べるのが普通だけど、私の場合は会社が選んだためインドネシアに決まったと聞いた時「!?」だった。同プログラムの企画系の先輩はベトナムだったのでベトナムに行く気満々だった。
結果的にインドネシアがすごく肌に合ったのでよかった。もともと環境を好きになりやすいのでベトナムだったらそれはそれでベトナム大好き!てなってたとも思う(ベトナム語は超難しいので心折れてたかも)
●出国前に準備したこと
協力隊は出国前に70日間合宿訓練があって、そこでみっちり語学を習得する。インドネシア語はその時点でまぁ、なんとか意思疎通はできるかな。。というレベルにはなった。
あとは仕事の準備として各観光地のPR冊子を集めて参考資料として持参したり、インドネシア文化の本を読んだり。1年という限られた時間だったので、ある程度「どんな活動をする」を描いてからいったのは結果的に良かった。
インドネシアはある程度発展しているので、持ち物は特にコンタクト1年分くらいを準備した程度。アフリカ等日本から遠い国の人は衛生用品等準備が多そうだった。
生活のこと
住んでた家は大体こんな感じ。新築で、温水シャワーもトイレも個室についていて、キッチンは共用。(単身のインドネシア人はあまり料理しない)
月3万円ほどでかな~~~り高級な家。普通の人たちは1万くらいの家に住んでる。
インドネシアの他の島に住んでいる協力隊はシャワーすらない家も多かったので、この環境はかなり恵まれていた。
家の近所は結構賑やか。夕方に屋台が立ち並び、料理したくない時はふらっと行って200円以下でサクッと食べられ、便利だった。
ただ一つ、夜に屋台を利用するとストリートパフォーマーがギターを持って勝手に演奏してお金をあげるまで去ってくれない(うるさい)みたいなことが多く、後半はあまり行かなくなった、笑
家の近くには布屋が多く、これは布・服大好き人間の私にはかなり嬉しかった。
日本では中々出会えないエキゾチックな柄布が無限にあり、しかも1m300円もしなくて無限に買えた。日本なら800円はしそう
インドネシアはpenjahit(ペンジャヒット)という仕立屋さんが多く、ちょっとしたドレスや礼服はオーダーメイドするのが普通。
私も慣れた頃、友達に手伝ってもらって服をオーダーメイドした。
ブラウス1着で600円くらい、ワンピースでも1000円ほどなので、調子に乗って「日本で着れるか?これ・・・」みたいなワンピースめちゃくちゃ作ってしまった。
オーダーメイド服、ベトナムでは観光客に向けたサービス提供も展開されており、ホーチミンでは日本語がわかる店員がいてワンピースを2−3日で作ってくれるお店があって、私も3年前ホーチミン訪れた時利用した。
私は洋裁の経験があるからこそ、日常で着る服を自分で縫うことの難しさ・めんどくささを知っているのでこういうサービスはとてもいい・・・!!!と感じた。
●食事について
インドネシアの食事については前記事にも書いたけど、またいつか記事にしたい インドネシア料理おいしかったな〜〜
とにかくこれ、ソトアヤムという朝食がわりの雑炊が本当に美味しくて大好き 2日に1回は食べてた
基本的にインドネシア料理好きなんだけど、好きなんだけど、
インドネシア、酒が売ってないの・・・イスラム教が大多数だから!!!しかも売ってても2%の薄いビンタンビール。ヒンドゥー教のバリはビールはいっぱいあるんだけど。
食べ物の話でいうと、よく「お腹こわした?」と聞かれますが2,3回はこわした
けど何がいまだに原因かわかんない・・・・・・
●インドネシア人の美的センス、結構いい
目に入るあらゆるものが(日本人からすると)珍しくて楽しいのは当たり前なんだけど、ちょいちょいセンスが良いなぁ、インドネシアと感じることが多かった。
なんか・・・自由なんだよね
好きなところに壮大に落書きしてあって、道は穴ぼこだらけで、ガーデニングの美しい家があって、洪水の時大丈夫!?みたいな場所に建っている家があって・・・
1年居ても見飽きなかったから、あと1年くらいいても大丈夫だと思う
●一年中夏であること
赤道直下、一年中夏!!!というのはいまだに変な感じ。
衣替えしなくていいのは住みやすかったけど、季節の移ろい的な情緒はあまりなかった・・・
雨季と乾季があるので植生は微妙に変わるみたいで、「そろそろマンゴーの季節だね」みたいな、フルーツが季語みたいになっていたのは面白かった。
仕事内容・職場について
ジョグジャという都市の州観光局の広報部署で、「日本人向けの広報」をメインに活動をしていた。ジョグジャについては過去記事も書いたんだけど、日本人が知らないだけで結構ちゃんと発展した観光地です。
ちなみに日本での仕事は全く観光と関係なかったので不安はあったが、PR分野で実際行くと役立てることも多かった。というか職場にはインドネシア人しかおらず、基本的に国内向けの広報業務が多いので「外国人から見たジョグジャ」を「外国人向けに効果的にPRできる」のは私しかする人いない。
職場はこのような感じ。
州観光局全体で30人ほどの社員・それと大学のインターン生20人ほどが雑務を行なっている。インターン期間は1ヶ月〜6ヶ月と大学によって異なる。この長いインターン期間は日本と違って面白い制度だと思った。
●職場での服装
職場の制服は
月〜水・・・上は白、下は黒
木・金・・・・バティック(インドネシアの伝統工芸布)
を着用するというルールがあった。
服装は割と厳しい、というか日本と基準が少し違って、ノースリーブだと「それはふさわしい服装じゃない」と指摘されたりした。イスラム教というのもあると思う。日本の市役所みたいな感じかな
●勤務時間
勤務時間は朝7:30〜16:00。
朝早いのと、夕方早く終われるのは非常によかった。帰ってからできることの選択肢が多い。
勤務はそこそこゆるく、みんな一応7時半〜8時に来るは来るけど打刻して朝ごはん食べに行く みたいなゆるい感じ。日本もこれがいい
残業は基本的にないが、上司が残っていると帰りづらい、という空気はあるように感じた。日本と似ている。
昨年の6月ごろ、インドネシアの大統領選挙の開票作業で300人以上が過労死したトンデモニュースがあったけど、インドネシア人は「自主的にがんばりすぎる」というわけではなく「従順すぎて命令されたら断れない」んだと思う。封建社会の名残・・・・
仕事での苦労と楽しかったこと
インドネシア語をあまり真面目に勉強しなかったのでそれによる弊害に苦労した。(勉強しろよ)けどそれは前に書いたから置いておいて・・・
インドネシアは非常に親日で、そこは過ごしやすかった。が、個々人のプライドは高く、特におじさんに結構ナメられた。(私の背が小さいのもあって、初対面は大学生インターンと同じ扱いをされることも多かった)
活動の最初の方は、「これわかんない手伝って><」と頼まなきゃ進まない場面が多かったのでワンワン!という感じでやっていたんだけど、後半は提案を進めるために予算を割いてもらわなければいけない場面もあり、ナメられてるせいで話が進まね〜〜〜!!!!ということも多々あった 反省点 これも語学が達者であればカバーできたと思う(勉強しろよ)
でもまぁ、「私めっちゃ仕事できます!」とハッタリかますよりは周りと仲良くなれたと思うし、それはそれでよかったかなぁ〜〜と思います
楽しかった・嬉しかったこと
日本人の友達がよくジョグジャに遊びにきてくれて、「ジョグジャめっちゃ楽しいじゃん!」て満足して帰ってくれたことが何よりも嬉しかった。
自分の仕事内容を褒められるよりも、自分が良い!と感じて伝えようとしたことが伝わった時が一番嬉しいんだな、と二十数年生きてやっとわかってきたのかもしれない。
上司ガチャ失敗
周りには基本的に恵まれたが、上司運がなかった。
直属の上司が部署に来たばかりの46歳くらいの女性で、その癇癪持ちの性格から、私が来た時既に事務所みんなに嫌われていた。
私はというと、最初の1ヶ月くらいは「とりあえず関係作っといたほうがいいか」と、彼女の言うことを従順に聞いてデザインを手伝ったりしてたんだけど、それが逆効果だったようで・・・土日に急なデザイン作成依頼が来たり、熱が出て休んでいるのにめちゃくちゃ雑な指示でデザイン作成しろ、と言われたり・・・3ヶ月ほどで「無理」になった。
日本にもたまにいるけど、「デザインする人」を「作業ヤー」とみなしているので、「作業ヤー」からの提案を受け入れられないタイプだったんだよね、多分 はやく地球上からそういう人間いなくなってほし〜〜と思うけど人間の中には一定数そういう人たちが生まれる運命なのかも、と最近思う
後述するめちゃくちゃ賢くてコミュ力の高い同僚ですら彼女とのコミュニケーションには苦労していたので、「この子で無理ならコミュ力もないし語学も低い私なら絶対無理だな!」とスパっと諦めた。ただでさえ慣れない異国生活でストレス抱えてるんだから全ての課題に体当たりで向かって行く必要はない・・・
しかし何しろ直属なので、取材依頼のサインや予算が必要な企画は彼女を通す必要があり、拙い語学で相談したある日めちゃくちゃキレられ(その直前彼女自身の振る舞いのせいで上から怒られていたらしい 八つ当たりじゃん)
「なんでこの人は外国人にこういう怒り方をしていいと思ってるの!???」とあまりにも理解が追いつかず、混乱してボロボロに泣いてしまった
理解できないアホが上司だと混乱して泣く、という自分に気づいた
結局これが原因で上の上司と相談し、彼女を直属から外して上に直接持って行っていいことにはなったので、後半は楽だったし、この一件で事務所の人がめちゃくちゃ慰めてくれて、逆にインドネシア人の優しさを知ることになった。
これも、自分の語学がもっとできればめちゃくそ煽れたのにな〜〜〜〜と悔しくなったけど、今後もし他の日本人が彼女に虐められたらかわいそうなので、堪えた。
ただ私はくそくそ負けず嫌いなので、ぜ〜〜〜〜〜〜〜ったい帰国する時砂かけしよ!!!!と思ってたんだけど(やめろ)部署の全員が彼女の悪口を言っていたので流石に可哀想になってやめた。
悪口が嫌い!というわけではなく、自分が直接何かされたりしたことで2−3人で文句いうのはいいんだけど、コミュニティ内で誰か一人が全員から嫌われていて笑いのネタにする、みたいな状況はあまり好きじゃない コミュニティ外なら平気なんだけど
彼女もパワハラなので悪いし、状況を変える、とかは難しいんだけどさ・・・悪意のある物真似とかはちょっといたたまれないよなぁ
私やったら直接言う・・・(だから喧嘩になったんやで)
ちなみに最後に言うはずだったのは
「あなた(上司)のおかげでインドネシア人には色々な人がいること、そして逆に事務所の他の人達の優しさを知ることができました、ありがとう!」て砂かけしようと思っていた(本当にやめてよかったね)
彼女は私が去ってから1ヶ月後、別の部署に移動させられた。複数人の同僚からわざわざ「彼女が移動したよ〜〜^^」と連絡をもらった。
でもまぁ本当に彼女以外の人たちがいい人たちだったので、環境には恵まれたと思う。
●ラッキーだったこと
環境に恵まれたと書いたけど、特に2人の友達にお世話になった。
1人目・頭のいい同僚(ガチャで神引きしてくれる)
事務所の契約社員の同僚。私と同じ年齢。
新卒で銀行に勤めたけど楽しくなくて辞めたというエリートで、すごく仕事ができる。そしてコミュニケーション力がたっっっかい そして超チャーミング。
頭の回転が早く、この子がいなかったら私活動で詰んでたんじゃないか!?というシーンが沢山あった。
スニーカーと、ちょっと子供っぽいもの(アベンジャーズの子供用腕時計を日替わりで付けていたり)が好きで、何にでも興味津々。
毎日のお祈りを欠かさない敬虔なイスラム教徒でありながら、普通に飲酒してたり(日本酒をお土産にあげたら喜んでくれた)、大学の時は髪の毛ピンクだったんだけど就職する時隠すためにヒジャブつけるようになったんだ〜というエピソードを聞かせてくれたり、とにかくそういう面白い子だった。
2人目・近所の日本語が話せるオタクの女の子
最初アパートに入居した際、電気料金の説明がマジで理解できず私も管理人もお手上げ!!状態になった時、「日本人がいる」と聞きつけて間に入ってくれたのがこの子。
小学校の時触れたナルトがきっかけでオタクになった子で、日本文化が大好き。大学は日本語学科を卒業し、日本のホテルで1年間のバイト経験もあり、かなり日本語が達者で本当に助けられた・・・
それ以降よく遊ぶようになり、定期的にご飯に行ったり、わからないインドネシア語の表現を聞いたり、オタクトークで盛り上がったりした。(木村昴が好きらしい)
4月から日本のホテルで働くはずだったけど、コロナの影響でまだ渡日できずにいる・・・はやく日本でまた遊びたいなぁ
自分自身のインドネシアでの学び
日本での仕事は自分がやらなくても誰かがやったが、インドネシアの仕事は「自分がやらないと誰もやらない」仕事だらけだったので、やりがいがあった。
業務はとにかく手探りで色々やったんだけど、その中で学んだことを軽く紹介
アウトプットに慣れた(TABIPPOでの記事執筆)
TAIBPPOで10記事、観光の記事を書いた。
経緯としては、日本の旅行系WEBメディアになんとかジョグジャの記事を載せたかったんだけど、執筆依頼をする予算もないので、ライターになって自分が書くしかない!ということで応募しまくって、唯一ライター未経験で採用してくれたのがTABIPPOさんでした。本当に感謝
上のURLから私が書いた記事一覧が読めます
私は文章への苦手意識がかなりあって、ものすごく時間がかかったけど、編集さんのおかげもあってなんとか書き上げることができた。苦手意識はまだあるけど、こういう記事を書くために必要な要素(写真や旅行前に立てる構成など)は把握した、世の中のライターさんてすごいねぇ
オススメ記事はイスラム犠牲祭の記事と世界遺産ウォークの記事です。編集さんがタビッポチックに文章をリライトしてくれてる(主に語尾)ので普段のブログより読みやすいと思う 編集さんすごい
写真技術
活動中、観光局にない観光地写真が必要になることも多く、仕方なく自分で写真を撮るようになった。
私本当に写真の才能ないんだけど、(言い訳すんな)とにかく枚数を撮って後からマシなやつを選ぶ、という感じで撮っていくとたまにいいんじゃない?という写真も撮れるなぁ、ということを学んだ。
過酷な環境に連れ回しすぎたので大学時代に授業で買わされたCANONの一眼レフは1月に壊れてしまった・・・(今はFUJI X-A3 のミラーレス一眼使ってる)
興味が広がった
初めて国際協力関係や行政の人たちと関わったことで、行政や世界に対しての興味が広がった。
JICAに本当に良い人が多かったことが大きい・・・
なんか言ってること曖昧になるんだけど・・・私は性善説派なので居心地が良かった
でもいい人たちって概してPRが下手で、JICAの事業がうまく国民に伝わってない感があるよね・・・でんつう手抜いてるんじゃねと思う(でんつうが委託先です)
一生オタクだと思い知った
海外生活のストレスはアニメ・漫画・ゲーム・アニソンで乗り切った部分があり、70日の合宿訓練があまりに勉強漬けすぎてこのままオタク抜けるかも・・・と一瞬思ったけど、自分一生オタクだろうな・・・・と思い知った
毎朝アニソンを聞いて出勤するだけでもかなり元気出る!!!!トクサツガガガでもそんなこと言ってたよね 超共感
土日は家にこもり切って絵を描いてゲームをしない!!!みたいな日も多かった
日本から出て感じたこと
この辺りはまだまとまっていないので箇条書きで書く
●アジア諸国は日本の存在を占領時代のことを含めかなり強く認識しているけど、日本人はしていないということを再認識した。私もインドネシア以外のことはあまり知らないし、旅行する前に勉強し直したいな、と思った (歴史教育の是非について話しているわけではないよ)
特にインドネシアは親日で、日本のテレビや映画も普及しており、東出不倫のニュースなど日本人の私より同僚のほうが詳しい、ということも多々あって驚かされた。
●ビジネスで訪れている「日本人駐在員」は基本的に現地の語学を話さないし、会社が保証した一定水準の日本人の生活をしているので、あまり現地文化に浸らない。それよりは現地民の中に溶け込んで生活する協力隊として行く方が、私にとって合っていたと感じる。
責任の薄い協力隊と違って、駐在員は責任も重くストレスも尋常じゃないと思うので、それはそれこれはこれ 駐在員はすごい
●インドネシアは平均年齢がとても若い(27くらい?)ので、未来への上昇志向が日本よりすごい、若者がやる気あると感じた
2019年9月ごろ、大統領を批判したら有罪とか中絶禁止とかそういう前時代的な法案が通されそうになった時、全国で大学生がデモを展開、同僚も「行政に勤める身だから参加できないけど、そうじゃなかったらデモ参加してた」というくらいデモが身近にあって驚いた。高度経済成長期の日本ってこんな雰囲気なのかな、と思った
●日本より進んでいる点としては、ITサービス(宅配アプリ)。
これに関しては自社に提出したこのレポートにまとまってるので読んで(読まなくていい)
●インドネシアは人口世界4位の大国だが、本当に「日本の弟」感が強い。国民性も似てる(島ごとに民族が違うので一概には言えないが少なくともマジョリティのジャワ人は似てる)
まとめ
1年振り返ると、楽しかったな〜そして色んな経験させてもらえて良かったな、と本当に思う
だからといってこの経験が私の人生を変えた!みたいなことは私は言いたくない。そういうnoteみたいなの嫌い(言わんでいいこと言うな)
私がこの1年で得たのは「経験」というより「認識」だと思う
自分が今まで見えていなかった部分や、興味だったりを、今までと全く違う環境に身を置くことで「認識した」という感じ。
「インドネシアに1年いた」というのはただの経験でしかないけど、ここで得た色々な出来事は今後、自分の能力を認識して行きたい方向に自分でベクトル調整する際のヒントになるんじゃないかな〜〜と、漠然と思う
なんかちょっと深いこと言おうとしてる感があって恥ずかしいから単純に、1年前の私と比べると確実に「好きなもの」が新しくできたのが嬉しい、くらいで締めとこう
インドネシアいいよ〜〜!旅行しよ〜〜〜!
東ティモールめっちゃよかった
2月下旬、6日間の東ティモール旅行
アジアで最も新しい国、東ティモールに行ってきた
タイトルに書いてるけどめっちゃよかった、
でも全員行け!オススメ!!みたいなよかったではなく(いや良いんだけど)
人生のこのタイミングで行けてよかったなぁ という話
とにかく写真だらけの旅行記
カメラのSDカード行方不明になったので全部iphone写真・・・・よく思うんだけどSDカードって生きてない?
●東ティモールについて 簡単に説明
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した、アジアで最も若い国。
国民の半分が1日2ドル以下で生活しているという貧国....(ではあるが天然ガスがあるのでアジアの中ではましな方)
大きさは、東京・千葉・神奈川を合わせたくらいの大きさ。
人口は岩手県くらいらしいです よくわからん!
ちなみに「ティモール」はインドネシア語で「東」という意味なので
東ティモールを直訳すると、「東東」。実際、占領時のインドネシアでの呼び名は「ティモールティモール」。
今は「ティモール・レステ」と呼ばれています
●旅行に行くことになった経緯
東ティモールは高校地理の授業で「アジアで一番あたらしい国」と習ってから、その響きに惹かれ行ってみたいとは思っていた。
インドネシアで、偶然東ティモールから旅行に来た同年代の子を案内する機会があり仲良くなったので「東ティモール遊びに行くね〜〜!」と言って実際に行った、みたいな感じです 軽
あとこの、チラシすごい良くないですか?
ぜんぜんデザインとかオシャレじゃないんだけど、パワーがすごい 行きたくなる
センスいいコピーも才能と技術だけどこういう飾らないまっすぐな言葉選びができる人は本当に羨ましい才能ですよね
●1日目・乗り換えはバリ経由。小さすぎる首都・ディリ
東ティモールへの直行便はバリ経由のみ。早朝バリに移動して、バリから2時間半のフライト。
空港は春節一色だった
(もともとインドネシアは春節は大きい催事の一つとして扱われる)
この時すでにコロナ防止策が取られて中国人へのVISA発給は止まっていたので、西洋人しかいなかったけど…
これはバリの国際線空港ターミナルで食べたアホみたいに高いパニーニ
バリの国際空港やばくて、国内線なら100円のカップ麺が600円で売られていたりする。
外国人のこと舐めすぎである
LCCだから機内食出ないと思ってたけど流石に出た。割と美味しい
●小さすぎる東ティモールの国際空港
これが東ティモールの国際空港。
イミグレーション(入国審査)、1つ!!!!!!
荷物レーン、1つ!!!!!しかも、5メートルくらい!!!!!!笑
今まで人生で利用した空港の中で、一番小さい空港で、正直驚いた。
飛行機も1日2便ほどしかないし、十分なのだろう・・・
●ミクロレット(乗合バス)に乗ってショッピングモールへ
空港に迎えにきてくれた友人と合流!半年ぶりの2回目の再会。
こちらが東ティモールでの交通手段、ミクロレット。
8人乗りくらいのミニバスで、市内の決まったルートを巡回している。
爆音で音楽が流れていて、音の振動を全身で感じられる
「うるさいから音量落として!」とお願いしてもしばらくすると音量が上がってくる
すごい髪のおじさん。天然ドレッド!
規模としては、「巨大イオンが支配するまで生き残ってた、田舎にある3階建てのスーパー」
みたいな規模
ほらあの1Fに結構大きい食品スーパーがあって2Fに服とかカバン、本屋がある感じの・・・
中は電気屋とか、なんでも揃う感じでした。映画館もあって、小さいけれど必要十分だった。
バーガーキングもあった。
●一番大きな市場・タイベシ市場へ
15時くらいに、東ティモールで一番大きな市場「タイベシマーケット」に連れていってもらった。
この市場は生活用品市場、という感じで、食物・野菜を基本に
服や洗剤等、電化製品や本以外はなんでも揃う・・・・と言った感じ。
売っているものは80パーセントくらいインドネシアと似ていたけど、だからこそインドネシアと違うものが興味深くて面白かった。写真はなくなったSDカードの中にあります。出て来てくれよ
これはミクロレットではなく、遠方に行くバス。東ティモールは岩手県くらい広いので、4−5時間ほど離れた場所にも町があります
●東ティモールの映えスポットへ
タイベシ市場から30分くらい、インスタ映え!というスポットへ。
高所の景色が良い場所に、写真を撮ったらいいかんじになるように足場(足場いうな)を作った場所!
インドネシアでもこのようなフォトスポットは最近流行っていて、アイデア輸入されてるな〜と面白く感じた!
●足を盛大に捻挫!翌日病院行きに
この日の夜、ホテルの近くでチーズを食べて帰りのタクシーに乗り込む時、
この歩道と車道の間にある謎の10cmほどの溝に足をつっこみ足首を盛大に捻った
本当に痛かった!!!!!!人生で最大級に痛かった これは折れた、と思った
人生で骨折したことないから、これが骨折か〜〜〜〜と思った
まぁ折れてなかったんだけど・・・・・
言い訳すると、インドネシアにはない!!こういう謎の溝は!!!
なぜならインドネシアは「歩道はバイク道」だから。バイクが車を抜かす時に乗り上げやすいよう、歩道と車道に段差はほぼない(地域による)
それもどうなんて感じだが
インドネシアにあるのは歩道が突然陥没していたりするトラップ。
ゲームだったらマップ切り替わるよここに落ちると
日本なら、もしここに市民が落ちて怪我でもしたら行政の責任だけど、インドネシアでは落ちた人の責任です
アプリ産業なんかは日本より進んでいる部分があるインドネシアだけど、首都ジャカルタでもこういう危ない場所は多いので
そういう意味で日本より30年遅れている、という説(これはインドネシア人がよく自虐でいう)は正しいとよく感じます
●翌日東ティモールの病院へ。レントゲン検査
翌日、嘘のように痛みがひいている期待はしたけどそんなはずもなく、痛みが悪化していたので
観光を諦めて病院に行くことに・・・
本当に付き添ってくれた友達には感謝しかない
捻挫か骨折かわからないんだけど、どこに行けばいい!?を相談できる関係者をあたってもらって、国立病院に来ることになりました。
この病院、東ティモール人は診療費無料らしい。
ものすごく人が多く、4時間かかる遠方から来ている人も。
人に聞きまくって、知り合いに助けられながら、なんとかレントゲン検査へ。
レントゲン検査にたどり着くまでもいろいろあったんだけど、(3時間くらい)
無事レントゲンを撮って、(結局これ・・・折れてるの?折れてないの??)が不明だったので午後の診察を待つことに。
が、結局午後の診察は医者がいなかったので、レントゲンの写真を知り合いの医者に送ってもらって、「まぁ折れてなさそう」という診断と痛み止めもらって終わった。(それでいいんかい)
結果論でいうと折れてなかったけど、過去イタリア旅行で、
「道でこけた後、ただの脱臼だと思っていた同行者が実は複雑骨折だった」
ということがあって、そこからは旅行中で怪我をした時こそ、
病院でちゃんと見てもらってちゃんとした判断をすることが大切だと・・・そう思ったんです・・・
ちなみにこの日は足が痛すぎて、丸一日
「巣にいる雛鳥を庇って怪我を負っているふりをする親鳥」
みたいな感じで足を引きずって歩いていた
●午後はレジスタンス博物館へ
東ティモールがポルトガルから独立した直後、インドネシアの侵略・占領があってから独立までの30年、略奪・虐殺・人権侵害の酷い状態だったんだけど
その間のレジスタンス活動を記録した博物館に行った。
今回のティモール旅行の目的の半分くらいはこれ。
写真下手なん?て感じだけど、ちゃんと取った写真はSDカードの中なんだよ
どちらにしても内部の展示は撮影禁止だったため写真はありません。
展示内容はパネル写真・映像がメインで物品は少なめ。
そしてポルトガル語と英語の説明しかない!!!!!!
私は英語能力はそんな・・・・なので事前に本を読んでいなかったら理解できなかった、事前を本を読んでいたから理解できた(炭治郎)
という感じ。でも行かないよりは良かったです
この博物館、規模は大きくないのだけど東ティモール最大の博物館でもある。
この日は東ティモールの離島・アタウロ島の民芸品の企画展を行っていた。
このほそ〜〜〜〜〜〜い人形は、インドネシア占領時の飢餓の様子をあらわしている・・・らしい・・・・
学芸員がギターハーモニカで歌い出したりしてまじ自由だった
(国で一番大きい博物館やで)
●東ティモールの旅行者とは
2日目は、ゲストハウスのみんなで夕食。
東ティモールに来る人はマジでいろいろ。
1ヶ月滞在しているオーストラリア人、
日本で英語教師をしていたこともある、インドネシア語が話せるノルウェー人、
インドネシア人など・・・・・
食卓も英語やインドネシア語やポルトガル語やテトゥン語(ティモールの言語)が飛び交っていてカオスだった
●離島、アタウロ島へ
次の日は首都ディリから離れ、近くにある離島・アタウロ島へ。
フェリーで約2時間という近い距離だけど、
週に2便しかフェリーがないく、なかなかの秘境。
友人はアタウロで働いていて、村で部屋の余裕がある一般家庭に長期間ホームステイしている。(アパートは島にない)
食事は出るがほぼ魚・そして塩味なので飽きるため、普段は自炊しているらしい。
私は3日だけの滞在だったので、飽きずに東ティモール食おいしいじゃん〜と楽しめた。
インドネシアと違って野菜をよく食べるのが素晴らしいと思う
●綺麗な海でシュノーケリング
首都ディリの海は汚かったけど、アタウロ島の海はほんと〜〜〜〜〜〜〜〜に綺麗だった!!!!
このきれ〜〜〜〜な海でシュノーケリングした美しい写真は、なくしたSDカードの中・・・・・・
友人はアタウロに住んで1年。
ほぼ全ての犬・村の人と顔見知りでよく「コレガ!!(=友達)」と声をかけられるので面白かった。
写真撮った後冗談でお金を要求される。
インドネシアではもう季節は終わったマンゴー、東ティモールはまだまだ季節だった。
そういえば昔、TVで
「フィリピンには街路樹がマンゴーの木で、スコールのたびに落ちて来るので拾っておやつにする」というのをみて以来 南国にものすご〜〜〜〜く憧れてたんだけど
こちらに来てからはもはや日常。マンゴーは高所からスコーンと落ちて来るので頭に当たったらそこそこの怪我を負うと思う
●2日目はダイビングへ・・・・・写真なし!!!!
2日目はダイビング!!写真はないけど綺麗な海でした。
こんな離島でもオーストラリア人が経営するダイビングショップはあって、実写版海賊みたいなおじさんが荒々しく経営しているショップだった。
●ウニ漁へ!!!!
昨晩、ホームステイ先のお父さんに、「今日シュノーケリングでウニをみた、食べたい」と話したら「ウニ漁する?」という話になり、ウニ漁をした(説明が雑)
このちっこいちっこい船でこいでいきます
なんてプリミティブ(原始的)な船だろう、4人しか乗れないし、降り方ミスると転覆しかける
味は・・・・・日本のウニとは全然違った、ムラサキウニなので全然ウニの味がしなかった・・・・・
けど楽しかったのでヨシ!!!!です
お父さんに聞くと、食糧難の昔は食べたこともあったけど、今食べる人はあまりいないらしい。
確かに剥く作業大変すぎて完全にエネルギーコストつりあってなかった
●夜は海で漁を見る
海までは歩いて10分くらい。
夜は夜光虫を眺めて遊んだり、漁から帰って来た船を見せてもらったり。
これは仕掛けておいた網を夜に引き上げ、魚を浜辺で回収しているところ。
みたこともないカラフルな魚が大量に見れて面白かった。
網を仕掛けてもまったく獲れない日もあれば、大量の日もあるそう。
この収穫した魚は、次の日の朝市で販売される。
●週に一度の朝市へ
3日目は島の港で週に一度行われる朝市へ。
市場が開かれる土曜日は、観光客や魚を買う業者が島に多く訪れる。
この市場は島の人々の貴重な現金収入のチャンスになっている。
こういう魚が売っていたり(この魚は沖縄にもたまにいる)
友達が目利きをして、タコとスマガツオ(あとで調べた)を購入。
タコ2匹で5ドル、カツオも2匹で5ドルだったかな?
野菜や道具
友人、この籠を使いこなしておりかっこよかった
私も日本から来てたら買ったんだけど、、、日本に持って帰るまでに絶対壊れるので買わなかった。
ファッションでなく、暮らしの中で息づいた道具で「ガチの民藝」という感じ
柳宗悦がみたら絶対興奮するよ・・・
東ティモールの伝統織物「タイス」で全身コーデしているおばあちゃんが本当にオシャレだった
東ティモールで売られている衣服は、基本的に先進国からの古着。
意識しないと気づくことはないが、こういう部分で貧国・・・というか援助で成り立っている国であることを実感する。
かわいい〜〜と思って買おうとしたこのアメリカンなワンピース(2ドル)、サイズが小さすぎて入らなかった。
東ティモール人、全体的にすらっとして手足が長い人が多い。ご飯めっちゃ食べるのに。
パプワニューギニアの人も基本的に細いので、基礎代謝が違うんだろうなぁと思う
●東ティモ・ランチ最終
カツオは友人が捌き、タコは口と内臓を取って茹でて、すだちを添えて刺身に。
もうめ〜〜〜〜〜〜〜っちゃ美味しかった 最高
人類に必要なのは刺身(東ティモールの人は食べません)
残りの魚は朝市で焼いてもらった。でもやっぱり赤身魚は刺身の方が美味しいね
●おみやげ屋さん巡り
フェリーの出航まで2時間ほどあったので、お土産を買いに隣の村へ。
boneka=人形という意味。
女性の収入向上目的で作られた人形工房。
いい意味で素朴な人形がたくさんあってとても良かった。(値段はひとつ15ドルくらい)
私はここで25ドルの米袋を再利用して作られたカバンを購入。
工房では、土曜にも関わらず大勢の女性が働いていた。
このように一つ一つミシンで、細かい模様をつけて独特の味がある布を作っている。
建物の外をよくみたら日本国旗が。日本の援助かNGOが立ち上げた組織らしいが、現在は手離れして住民だけでやっていっている。
ただ、外国人の需要を読み取りきれていないのでは・・・と思う部分は少しあり
手離れするまでに色々あったとは聞いたが、少し惜しいなと思った。(外国人に売りたいなら!)
●アタウロ島から離脱。大雨に降られながらフェリーへ
東ティモールは現在雨季。
午前中は気持ちいい晴れの日も多いけど、午後15時以降は何もできないくらいの豪雨に襲われる。
この日もすごいスコールで、この雨に降られたことが原因でこの夜発熱した・・・・・
行きのフェリーの中で友達が、「帰りのフェリーになぜか毎回、サンゴを手持ちで運ぶ中国人観光客がいる」と言ってて何それと思ってたんだけど帰りのフェリーに本当にいて伏線回収で笑った
首都ディリに戻り、ホテルに泊まった夜、発熱。
「もしかしてコロナ!?」とかなり焦ったんだけどそこら辺の流れはあまり面白くないので割愛。
バリの空港がコロナ騒ぎで厳しく、熱があると入国がめんごくさくなるので
解熱剤で無理やり熱を下げ、次の日の14時に飛行機で帰国しました。
発熱すると楽観的人間でも弱気になるもので、
「このまま日本に強制送還される最悪のパターン」まで想像した。
教訓:スコールで濡れたらすぐ着替えないと風邪をひく
この右端にある島、ヌサペニダ島といって海がま〜〜〜〜〜〜じで綺麗。バリに行く際は是非
●旅のまとめ(お土産など)
荷物重いのが本当に嫌いなので、色々削ぎ落としまくって、リュック+ショルダーバックという軽装備。
最近の結論は「充電器あればなんとかなる」
こちらが今回東ティモールで購入したおみやげ。
右のカバンが、25ドルで購入した米袋のカバン。
アジアとか旅行するときはこういう子供っぽいカバンの方が、ガチのバックパッカーっぽくなくていいのでは?と思って購入した かわいくない?
左上の布が東ティモールの伝統織物「タイス」。30×150cmくらいのサイズで15ドル。
なかなか分厚くてカバンくらいにしか使えなさそうだけど、せっかくだし...(物を買うとき何も考えない)
このシュシュ、かわい〜!と購入したけど後から友達に、「それ、ゴム伸びる???」
と聞かれ伸ばしてみたらまったく伸びなくてわろた
マーケットで購入した、手編みの小物入れ。二つで150円くらい。やすぅい
現地の人はここにお金を入れて財布がわりに使うみたい。
パッションで買ったので何に使うか全く決めてません でも可愛くない???
左上のリングは、1ドルで買った鼈甲のピアス。
ウミガメ漁は現在禁止されているけど、アタウロ島では禁止される前の鼈甲をつかった加工品が多く販売されている。(ほんとうに現在漁をしていないかは怪しいところ)
インドネシア来てからピアス10個は余裕で買ってるんだけど、性格的にすぐなくすから多いくらいがちょうどいいねんな・・・・
これ買ってん〜〜〜て言うと5 人中4人に「何で買った!?!?」と言われるであろう置物も買った
この記事に書いてる理由半分、アタウロの人の収入向上に貢献したかったのが半分です
漁を見せてもらったり、他にも色々お世話になったからお金を落としたかった、
オタクだからこういう考え方をするのかもしれない
今東ティモールが力を入れている産業がコーヒー。
私はコーヒーに関して偏差値が低いので違いはよくわからないけど、とりあえず職場のお土産に買って帰った。(というか食品のお土産がこれくらいしかない)
おいしかったし職場の話題になってよかった
これはおまけ。カバンを購入した時にもらったショッパー。
なぜこの写真を載せるかというと、これが「典型的な先進国のレクチャーの産物」と思ったからです 悪い意味じゃないよ!!
インドネシアに来る前に一定期間の研修を受けた中に、こういう
「新聞でショッパーをつくってみよう!」というワークショップを受けたことがあり
このワークショップを経験しなければなんとなく受け取っていたショッパーだけど
私は過去の経験があるから、これをみた時に「このアイデアを教えたのは先進国だな」とはっきり感じた、ということをどこかに書いておきたかった
●旅行まとめ・感想
記事タイトルの繰り返しになるけど、行って本当に良かったと思う。
インドネシアとの関わり、独立戦争時に無視しまくった日本政府のあれこれいろいろ書くべきこと・今後も学ぶべきことはあるんだけど
事実として感じたことだけここに書いておく
長いので読む必要はあまりないかと思います。実質旅行記はここで終わり
(別記事にしようかと思ったけどそうすると書かないのでここに書きます)
●人が本当に優しい
本当にこれ。インドネシア人も優しいけど、東ティモールの人も本当に優しかった。
そして親身だった。
東ティモールを歩いていると、よく「コレガ!!」と声をかけられる。
ポルトガル語(とテトゥン語)でコレガ(collega)とは「兄弟、友達!」みたいな意味で、多分呼びかける方は「やぁ!」みたいな意味で使っている。
そんな風に、知らない旅行者でも気軽に呼び止めて、助けてくれるのがすごいいいなぁと思った。
出国する際、申請書類を書く場所でペンがなくて困っていたら10mくらい先の売店のお姉さんに「コレガ!!」と呼びかけられ、ペンを貸してくれたときに本当に、本当に東ティモールのひとたちいい人たちだと思った
●人が明るい。インドネシアを恨んでいない(ように見える)
インドネシア独立戦争時の虐殺の話を勉強してから行ったので、
暗い空気が覆う国なのかも.....という想像をしていたけど、人々は本当に明るかった。
そして驚いたのが、あれほどひどいことをしたインドネシアを恨む気配がなかったこと。
私がインドネシア語を使っても、「インドネシア語できるの!?すごーい!」という感じでにこやかにインドネシア語で話してくれた。(2002年までインドネシアだったので、大人はインドネシア語がかなりできる)
これはかなり予想外だった。私が見たのは旅行者として、東ティモールのほんの一部であることを考慮しても・・・・
ちなみに対中感情は悪いらしい。理由は中国企業が支援の名目でインフラ整備を行っているが、中国人を雇用するためティモール人の収入向上につながらないから。
(又聞きなので一意見として聞いてくださいねこの辺りは)
首都で歩いていると結構中国人と勘違いされ「コロナ!」と呼ばれたりした
日本人すくないから仕方ない
●未来色?→元が悪すぎて良くなってしかいない
東ティモールのインフラは、正直良くない。インドネシアからみても、良くない。
アタウロ島なんて、最近は7-18時までずっと停電。
冷蔵庫はあっても意味がないし、PC作業も扇風機も昼は使えない。道路はまだまだ。
ただ、現地人へのインタビュー読むと「東ティモールのいいところは?」という質問に
「整備されたインフラ!!」と答えている東ティモール人がいた。
在住外国人からすると「いやいやいや・・・・」ではあるんだけど、東ティモールの人から見たら、「10年前より、去年より、どんどんインフラがよくなっていっている」ということは事実なんだよなぁと思った。
それほどインドネシア、ぐっちゃぐちゃにしてから引き上げたからな・・・
●インドネシアが悪いか?
東ティモールの歴史を勉強していると、インドネシア・・・やば・・・
と思っちゃうんだけど、実際に暮らしているインドネシア人は本当に温厚なので、正直この民族がそんな人権侵害を行うなんて、、と信じがたい気持ちが多い。
一応理由があって、この時代のインドネシアは30年間スハルト大統領がほぼ独占政治を行なっており、思想弾圧も厳しく、国民が国をどうこうできる状況になかった。軍と汚職にまみれた政府の独壇場だった。
あまり詳しくないけど・・・今の中国が行なっている人権侵害もおそらく同じような状況だよなぁ、と思う
東ティモールがこの状況をどうやって脱したかは説明すると長いし自信ないので説明しません
●惜しい点・インドネシア占領時代のことを学べる場所が少ないこと。
これに関しては、「東ティモールの人あまりあの時代のこと話したがらない」と友達は言っていた。それを聞いて、本当の意味でまだ傷は癒えていないし、今は生きていくので必死なのかもしれないと思った。
観光業界目線だと、ダークツリズムの流行を汲んで、その辺りを学びたい外国人に向けて観光開発すればいいのに・・・と思ってしまうんだけど
東ティモールの人たちが多分まだそういう段階にない以上
外国人目線で開発するのも違うかもな〜と感じた。
単純に旅行としても良かったけど、上記のよう
なふわふわとした考えを得られたというのが良かったな〜〜〜本当はもっと映画とかみてから行きたかったんだけど・・・
炎上オタク絵について広告視点で思うこと
最近よくあるオタク女体表現ネット炎上について
私の考え方を簡単に書いておく、あとで見返す用・・・
脳直で書いてるのでめっちゃブーメランあるかも
具体的に勘違い箇所指摘してくれたら考え直します
基本的に炎上した時点で「公共広告の仕事としては失敗」だと思っているので
擁護派に厳しいと思います 中立は難しかった そこはごめん
基本的に代理店のプロ意識ないわ、という話をしているので「広告の話をしたいんじゃない!絵が性的かどうかという話をしたい!」という人は
この記事を読む価値はあまりないと思います
私の意見↓
私の主張:これだけ炎上例があってまた炎上するのは代理店のプロ意識問題
もちろん受け手は日本人の数だけいて、全てをカバーすることは難しいのは当たり前で、「この程度で性的だと感じるフェミがおかしい!!」という意見も否定はできないとは思う、
だけど世間の論調を読んで、炎上しない、できるだけ多くの人を不快にさせない広告を作るのも広告代理店の責任だと、広告業界(真ん中ではない)に近い業界で仕事してる人間として思うので・・・結果として炎上してしまった今回は「失敗」として論じざるを得ないというのが私個人の感想。
「数字をあげるのが広告の仕事だ!これで売り上げが上がればいないな」という意見もあるけど、どんな広告も大前提に広告倫理が必要だと私は思います。
この「できるだけ多くの人を不快にさせない」は簡単なことではないけど、
今回に関しては、昨年11月に宇崎ちゃんポスターの炎上があった流れや、古いけどのうりんポスターの流れがあり、それを漫画・アニメを利用したプロモーションに携わる業界人は絶対見ているべきだと思うし、これだけ直近でああいう話があったのに、それでも尚この状態で世に出して、案の定炎上してしまったのは「広告人としてプロ意識の欠如」としか思えない、もしかしてインターネットやってなかったんか?
結果論になるけど、こういう広告を出す際に、「この絵は性的じゃないか?」という複数人のチェックをすべきだった。(これは個人の意見だけど、チェックがあれば、保険の意味であの線は消していた。)
チェックがあった上で炎上してしまったなら、チェック機関のネットの流れを読む力が
欠けているんだと思います・・・
「個人の感じ方」問題ではあるので、チェックリスト作って防止できる、とか、ワークフロー上の欠陥ではないんだけど、前述したような炎上例があって尚2020にこれをするのは、広告制作側として「意識が足りない」としか言えません(何回も同じこと言ってる)
●「作者・絵の擁護」は「公共広告として適切か?」とは別の議論
今炎上中のラブライブポスターのスカートのしわ問題に
— 篠房六郎 (@sino6) 2020年2月14日
ついて、いち絵描きとしての技術的考察です。誰かを罵る前に落ち着いて読んで下さい、まずは。 pic.twitter.com/A28GZaZ4FX
こういう炎上の際、
・性的な表現をする意図があったか
について論じる人が必ずと言っていいほど出るんだけど、論点ずれるからマジでやめたほうがいいのに・・・・と思う
(それはこのツイート主も分かった上で言っていることはまぁわかるけど・・・)
広告って受け手ありきの媒体であって、受け手のことを考えるのが広告の仕事やから!
制作意図とは別の文脈で広告倫理を議論している時、制作意図は関係ないから!
関係ないというか、
「その擁護論では肝心の不快になった受け手を説得できない」
ことは認識するべき この人も、絵を否定しないでほしいだけ、と言ってはいるけど、拡散している人は意図がないことを盾にしている人が多いので、私はこのタイミングでこの主張をすることは本当に微妙だと感じます
否定派(今回のポスターは性的、不適切派)はキャラ絵や原作を叩きたいんじゃなくて、これを「うん!不快になる人はおらんやろ!OK!」て通した中間機関の公共広告倫理に文句言ってるんだと思うんだよ(もちろん絵師やキャラを叩いているズレた人には文句言えばいいと思う)
広告として掲示される以上、場所によってはまったく作品を知らない人・イラスト表現を知らない人が見ることがわかりきってるんだよ
作者、ファンはそういう意図を感じないと思うのは仕方なくても、
少なくとも中間に入っているいくつかの機関の人間は「作品や分脈を全く知らない人がみる」前提で広告を作るのは当たり前なので 私はこの記事では一貫して代理店(もしくは間に挟まった決裁者)のプロ意識に文句言います
「原作はこうで〜」「胸が大きいのはただの身体的特徴で〜」ていう人
好きな作品がまったく知識ない人に貶された時、それを言いたい気持ちは痛いほどわかるけど!!!
広告として不特定多数の人に、原作の分脈抜きで見られる場所の絵のあり方として論じてるのを理解していたら、そういう言い訳は正直悪手でしかないと感じる(アホ、賢いの話ではなく、単純に悪手)
広告の話ここで終わり、あとは所感です
こういう機会に否定派から作品叩きをする人がいるけど、それに関しては「今はノイズになるから座っておいた方が・・・」と思う(いつ作品に文句いうかは個人の自由なのでこれは完全に私の意見)
まぁ日頃から気に入らなかった作品が炎上したら便乗して悪口言いたくなるのもね、わかるよ わかるけどアホだと思われるの嫌だし、原作ファンの敵作ってもメリットないので私なら別のタイミングにするわ
●「普通に考えたらわかるでしょ!?」は使わないほうがいい
今回のラブライブの絵は、私は初見で「プリーツスカートにその線は出ないだろ・・・擁護できん・・・」という第一印象を抱いた側なので
いや、普通に考えたらダメなんわかるでしょ!!??と言っちゃいそうになるけど、
こうやって、「普通に考えたら〜」を押し付けても、違和感を感じなかった人や、子供の頃からエロ本売り場などで微妙な居心地悪さを感じたりしたことのない人種に理解が難しいのもわかる(そしてこの違和感を感じた側が必ずしも正しい、とも言い切れない)
ただ、ツイッターで目に見えるネトフェミだけがああいう絵に不快感を感じる層だ!ネトフェミが消えれば解決!と言い切ることは誰にもできないと思います
「え、これのどこがダメなのかわからないの???」と説明しない方もちょっと問題だけど、
「ま〜〜〜たお気持ち!!!フェミ!!表現の不自由!!オタク絵嫌いなだけだろ!」とキレる人は・・・
今後も生き辛いと思う 自分と違う意見の人を理解しようとする気がないという部分で、人生が難しい 高校生ならいいけど成人済みでそれは厳しい(厳しいという言葉は申し訳ないけどストレートにDISの意図です)
こういう場合に、「これで炎上するの?気づかなかった、もしかして自分の感覚って・・・世間からズレてるのかも???」と立ち止まって再考することは、そんなに難しいことではないと思うんだけどどうだろう (「世間」の定義が曖昧なのは今置いとく)
私は、「私が(これは・・・うーん性的表現だなぁ)と感じることに関して(別によくない?)と思う人がたくさんいる事実」もわかる。
だからこそ、こういう炎上のつどつどで論点をずらさず話し合って、次はどうすればいいか話し合って、炎上しない、不快になる層が少ない表現を探していくべきなんだと思うよ
●検証絵師の文章に感じる根深い問題
今炎上中のラブライブポスターのスカートのしわ問題に
— 篠房六郎 (@sino6) 2020年2月14日
ついて、いち絵描きとしての技術的考察です。誰かを罵る前に落ち着いて読んで下さい、まずは。 pic.twitter.com/A28GZaZ4FX
最後に。8万いいねもされているこのツイートにすげ〜〜〜根深い問題があると感じたので書いておく
三枚目。
とにかく先立っての宇崎ちゃんの赤十字コラボの件といい、こういうとき闇雲に喧嘩腰で相手に挑みかかる人が一番の問題だと思っています(←それはわかる)
そんなに顔を真っ赤にして、相手の人格を全否定せずにはいられないような問題ですかね?(←これは言っちゃいかん)
本当に女性問題を考えたり、蔑視に傷ついてきたりした人、真剣になんとかしたいと思ってる人は多いんですよ そういう人たちはこういう機会に細かく発信していくことで、今まで無視されてきた自分たちの存在を見てもらおうとしてるんですよ (相手の性格を全否定するのはよくないけど)
それを
「そんなに大きな問題ですかね?」
とする態度は、ダメでしょう・・・・・・・・・
こういう煽り方をしてしまうのは本当に、怒ってる側の気持ちや日本の社会背景をまったく理解しようとしていない、理解しなくていいと思っているのが透けて見えて、すべてのすれ違いの原因だと思います
あなたに大切な問題でなくても、この人たちには大切な問題なんですよ
こういうこと言うと
「萌え絵が好きな人にとっても大切な問題だわ!こっちの気持ちは尊重できないのか!」
ていう人いるけど
誰も萌え絵全体を規制したいわけではないよ、不特定多数の人が見る場所に掲示されるものは、違和感のないものにして行きたいねと言っているだけだよ
もちろんこの意見がどんどん認められていくと、街で見る萌え絵は減るかもしれないとは思う
そういう意味で反発している人がいるのもわかる
これは所感ですが重ねて言うけどこの問題は明確な基準も「公共」に明確な定義もないので
「法律で規制されてないからOKだろ!」「公共」の定義を出してくれ!と言うのは
小学生みたいだなぁと思います。だってどう見ても全体的に討論過程の問題じゃん・・・・
頭いい人でも、自分の好きなものを侵食されそうになるとこういう発言をしてしまうことが散見されるので
それほど「好きなものを守りたい」という人間の気持ちは強いんだろうなぁ、と感じる
難しいね
●まとめ
う〜〜〜ん色々書いたけど、
自分の「この絵は・・・公共広告としてはないな・・・」と感じた理由を
広告倫理を盾に補強している部分も大きいかもしれない、でもこういう炎上キリないのマジで悲しい PDCA回ってる気がしなくて
反論があれば聞きます・・・・・自分メモブログなので議論用ではないけど、指摘は素直に聞きたい
船の上で年を越したコモド旅行まとめ
12/25~1/2まで6日間のインドネシア・コモド旅行行ってきた記録
セルフ編集せず全部書くので長い
めちゃいい旅行だった!
止まった安宿とか食べ物の写真とかも全部載せておく
最高!!だよコモド 人生で一回は来て
1万字はいかないけどとにかく長いのでコモドのパートだけ見たい人は目次から飛んでください
- 経緯
- 移動(ジャワ島→マカッサル(スラウェシ島)):マカッサル観光
- コモド島(フローレス島)へ
- コモドドラゴンツアー(1泊2日・船上泊)
- 30/31日は2日間ダイビング漬け
- 大晦日は船の上のホテルで年越し
- 最終日・バリでトランジット8時間の過ごし方
- まとめ
経緯
コモド島に入れなくなる!?という危機感
世界最大のトカゲ・コモドドラゴンが生息するインドネシア・コモド島。
せっかくインドネシアに在住しているからには是非見に行きたい!と思っていたのに
2019年10月ごろ、政府が「生息数保護のために2020年島を閉鎖する」だとか「島への上陸を会員制にする。会員チケット10万円」とか色々ニュースが飛び交っており
2020年になる前に行こう!と思って飛び立った。
結論から言うと島は閉鎖されないしチケット制度もなかった。
インドネシア政府あるある(なんとかしてくれ)
せっかくなら別の島も・・・ということでトラジャをプラス
トラジャという、独特の建築で有名な村がある
これはインドネシアのスラウェシ島の中部にあり、独特の葬式を行なっていることなども有名
トラジャ出身の友達がいるので、その子の家を訪ねたいな〜と思い
旅の計画
12/25→出発(マカッサルへ・飛行機)
12/26→トラジャへ(飛行機)
12/27→1日トラジャ観光
12/28→トラジャから戻る
12/29→マカッサルからフローレス島(コモド)へ
12/30→コモド島
12/31→コモド島・船の上のホテル泊
1/1→コモド島
1/2→帰る
こういうスケジュールを組んだ。
実際、このスケジュール通りにまったく行かなかったんだけど!!詳細は後で
インドネシア人友人はこの金額は出せないので誘えず、1人旅
移動(ジャワ島→マカッサル(スラウェシ島)):マカッサル観光
トラジャがあるのはインドネシア・スラウェシ島。私が住んでいるのはジャワ島なのでかなり遠く、前日深夜に飛行機移動。(2時間)
色々あって飛行機のチケットが取れておらず、トラジャには行けなかった。
みんな自力手配の際 Trip.comは使わないほうがいいよ 日本語チャットサポートは良い人だけど英語サポートの質がAI以下
ので、気持ちを切り替えてスラウェシ島で一番の大都市、マカッサルの観光をすることいした。
マカッサル・要塞博物館
オランダ統治時代の要塞を改築し、スラウェシ島の博物館にした施設。
このような民族の展示・また古代人の遺跡の展示などがあり、面白い。
そういえば最近、ラスコーの壁画よりも古い人類最古の絵がスラウェシ島で見つかったらしい・・・
途中で、日本人+インドネシア人2人のグループに声をかけられ、一緒に行動した。
アラブで働いているらしい。国際機関系かな?
とにかく英語が上手で、明るくて素敵な人たちだった・・・・
これは展示品のインドネシア式すごろく。博物館の展示物なんだけど
「私ダイス持ってるよ!」てどこからともなくすごろく(12面?)を持ち出して振ってるのかっこよすぎて「私もダイス持ち歩く人になりたい・・・」と思った
決断する時とかに便利そう
この日たまたま日食で、外に出て日食を観察した。
この腕時計の丸い穴、普通の日であれば丸く影に日が差すはずなんだけど
日食の場合、欠けた三日月型になるんだそう(初めて知った)
木漏れ日も三日月型になってて綺麗
インドネシア人あったかいね
本当にいい人たちだった
その後解散し、昼飯を食べにマカッサル名物の「チョト」を食べに有名レストランへ。
(有名レストランといってもこんな感じの狭くてごちゃごちゃ店内。)
チョトは牛肉と野菜を煮込んだ、胡椒が効いたスパイシースープ。
私の住むジャワ島で一度友達が作っておすそ分けしてくれたことがあったんだけど
「オランダ統治時代の料理」と言っていた
マカッサルは港町だからか、オランダ・中国の影響がすごく強いように感じる
中国の寺院も多い
夜は同期でマカッサル在住の友人と、トラジャの友人とご飯。
マカッサルは海鮮が美味しい!そしてナシゴレンはトマトを使うので、普通のナシゴレンと違って赤い。
多様性の国インドネシアは同じ料理でもかなり違ったり、違う名前なのにほぼ同じ料理だったりするので、国内なのに海外旅行している気分
マカッサルで止まったホテル。これで1泊1000円くらい
OYOというインド資本のホテルで、インドネシアはとても多い
僻地にある代わりに非常に料金が安いという特徴があるんだけど・・・・・・
水道を開け閉めする音がすごく部屋に聞こえたせいで2時間しか寝れなかった
体力僅少の中、次の日は3時に起きて、朝6時の便でコモドに向かう
(飛行機をキャンセルしてとりなおし、コモド島の予定を前倒した)
トラジャに行けなかったことによって3-4万くらい失っており、痛い勉強代
「飛ばないこともあるから気をつけてください」と在住日本人から注意された「トランスヌサ航空」(気をつけようがない)
ちゃんと飛びました。
飛行機の柄がトラジャ族の織物の柄になっていてカワイイね
片道1万円くらい。前日にとってもこの値段のLCCありがたい
これは余談だけど、インドネシアてパンがマジでおいしくな・・・まずい
だいぶ前の記事で、「おいしくないパンは存在しない」と言い切ったがあれは嘘
インドネシアのパンはまずい 多分小麦が良くない 世界は広い
イギリス・オランダ・ポルトガルの領地だった国はパンが美味しくないらしい
だいぶ前だけどフランス旅行した時食べるパン食べるパンすべて美味しくて感動通り越して屈服した 同じヨーロッパでなんでそこまで差が出るんだ(ヒント:気候と土壌)
エシレバターが日常にある国にパンで勝てるわけない
コモド島(フローレス島)へ
コモド島、といってもコモド島自体は島民2000人もいないとても小さい村なので、コモドを観光するには近くの島「フローレス島」のラブハンバジョー空港を使い、基本的にはフローレス島に止まってツアーに申し込む形式になる。
1日目はホテルで仕事
7時に空港に着き、数あるツアー会社を比較して次の日に参加するツアー会社を決め、ホテルを予約して、ホテルのプールサイドでずっと仕事をしていた・・・
夕焼けが非常に美しかった
なんで旅行来てまで仕事してんねんって感じだったけど仕事残ってるからで、
多分仕事なくても本読んだり絵を描いたりしてるだけだからまあいいか
旅をしながら仕事♫ノマドワーク♫
みたいな記事良くあるけど、あんまり現実的じゃないと思う
慣れない土地ではWifiがちゃんとしてたり、冷房が快適なカフェを探すのが一苦労だったりするので
フローレスのスタバもマカッサルのスタバもWifiが虫の息だった
部屋はこんな感じ。一泊1800円くらい。
欧米人バックパッカー向けといいった感じで、施設がかなり充実していた
コモドドラゴンツアー(1泊2日・船上泊)
コモドドラゴンツアーは、世界最大のトカゲであるコモドオオトカゲを見るだけでなく、コモドドラゴンが生息する2島コモド島・リンチャ島・あとは絶景が見れるパダル島とマンタとシュノーケリングができる盛りだくさんのコース。
ツアーは1日・2日・3日のコースがあるが、1泊2日が一番一般的で安く、こちらにした。7000円くらい+入島税5000円(土日料金) 12000円で丸二日分面倒みてくれるんだからかなりお得だと思う
同じ船には25人ものツアー客が。すべて外国人観光客。
中には、アメリカのピースコープ(ボランティア団体)からきている英語教師の若い女性もいた。インドネシア語を話せるのはその子と私だけで、ほぼ共通言語が英語の船上。私はスピーキングに自信がないのであんまり話しかけなかったな・・・
リンチャ島上陸・コモドトレッキング(1時間)
9時に港を出発し、11時ごろにリンチャ島に到着。
こちらがコモドドラゴン!!!!!
かわいい〜〜〜〜〜〜〜!
ジュラパみたい
リンチャ島にはコモドドラゴンが1040匹生息し、野生のコモドドラゴンをガイド付きで見学することができる。
ガイドは必須です。なぜかというと、コモドドラゴンは人を襲うから。
動く速度はそんなに早くはないんだけど、一度噛まれたら唾液から細菌が入り込み
水牛でも1ヶ月でじわじわ死ぬ。猿なら即死らしい。
ガイドによると、「昨年は、撮影のために近づきすぎたスイス人とシンガポール人観光客が死んだ。次は日本人、お前かもしれない・・・」
これは犠牲になったのだ......な水牛の骨
野生の水牛もいます、リンチャ島
インドネシアすごい
トレッキング終了・昼食後ピンクビーチへ
船の上では昼食はもちろん、おやつもふんだんにでる
特に今、インドネシアはマンゴーの時期でほぼ無料状態なので
すごくおいしいマンゴーがたっぷり食べられて幸せ
そしてピンクビーチへ!ピンクビーチとは・・・・
めっちゃ綺麗じゃない!?!?!?!?
「ピンクビーチ」は、波で欠けたサンゴの破片が砂浜に集まって、ピンクに見えるビーチのこと。コモドだけじゃなくロンボク島などにもあります。けどどこにでもあるわけではない
最初は光の加減で、「ピンク・・・・?」という感じだったんだけど
こう写真で見るとめちゃくちゃピンクですね
というか海がめちゃくちゃ綺麗・・・・・
ここで1時間くらいシュノーケリングを楽しむ。泳いで沖に行けば、サンゴ礁やウミガメがいてとても楽しい海だった
素潜りして遊んでたら他のツアー客に🆒!!!と褒められて嬉しかった
ペットボトルに糸をくくりつけて、ルアー一つという非常にシンプルな釣り道具で遊ぶ地元の子。こんな島で生まれて過ごしてみたいなぁ
コモド島でドラゴントレッキング
さっきコモドドラゴンみたじゃん!!
て感じだけどちょっと待って。このツアーは2島のコモドドラゴンを比べるコモドドラゴンオタク大満足のツアーです
先ほどのリンチャ島のドラゴンは2〜3mくらい。(前長)
こちらのコモド島本当のドラゴンは!!!でかい!!!4Mくらいある!!
ガイドの子がどうみても子供だったので、年齢を聞いたら18とのこと。
高校を卒業してすぐガイドの仕事を始めたらしい。
「私はジョグジャに住んでるよ」というと
「ジョグジャ!知ってる!マリオボロ通り有名だよね!行ってみたい!」
と話が弾んだけど、この子は生まれてからフローレス島から出たことがなく、テレビやネットでの知識らしい
生まれた国による経済格差に少し辛くなってしまった
インドネシア人、とてもいい人たちばかりなので
余裕のある生活を全員が送れる国になってほしいと思う
夜は船の上で
コモドトレッキングは夕方に終わり、夕食もシャワーも一通り終わってそれぞれの時間へ。
ビールを片手に旅の話に盛り上がるグループもあれば、静かに本を読む人も。
私は船の後ろにあるキッチンスペースを除くと、船のスタッフが釣りをしていたので混ぜてもらった。
楽しかった〜〜〜〜〜
魚、じゃんじゃんいるのでほぼ入れ食い状態。リールなどはなく、
糸!針!餌!完。
というシンプルすぎる釣り。
この魚が明日の昼食になるらしい。
船上から眺める朝日
次の日の朝、5時くらいに明るさで目を覚ます。
船はゆっくりと進んでいて、スタッフの一部が準備を始めている。
他の乗客はまだ起きていない。
この状態で、ぼ〜〜っと、ゆったり朝日を眺めるのが本当に、本当に最高だった
パダル島
2日目の朝は、特殊な地形がみれるパダル島へ。
30分くらい急勾配の階段をトレッキング!
富士登山で鍛えたメンタルを使い果たしそうなくらいキツかった、このトレッキング
いうてくれや
でもしんどさを覆すほどの絶景を見れたので満足。
パダル島は、このような細い島で。島の高所に登ることによって島全体を見渡すことができる。
(ちなみに12月はまだ雨が少ないので島が茶色い。1月の雨季の後は、島全体が緑になり海の青とのコントラストでより美しくなる 、らしい)
マンタシュノーケリング
この過酷トレッキングの後に、マンタが見れるシュノーケリングポイントに行きマンタをみたんだけど・・・・・・・マンタはこの日から3連続でダイビングでたっぷり見たので割愛
本当に長いね・・・・・・
30/31日は2日間ダイビング漬け
フローレスはダイビングが最高!と聞いていたので
ダイバーとしてはなんとしても潜りたかったコモドの海。
年末にたっぷり潜ってきた。機材レンタル込みで1日あたり15,000円くらいで、日本に比べると安い!(日本だと3万くらいする)
まぁ金を海に溶かす趣味であることには変わりないんですけど
マンタを堪能した
gifじゃ伝わらないね・・・・・
ダイビングの写真撮影機材がGoproHero5で、初心者の時は「撮れたらなんでもいい!」だったのでよかったんだけど水深が深くなると流石に物足りない。色が全然違う。
具体的に書くと、水深が深ければ深いほど、赤色の光が届かなくなるので全体的に同じような色になっちゃうんですよ・・・・本当に見えている世界は信じられないくらいカラフルなんだけど!!!!
ダイビング撮影ガチ勢は50万とか平気でカメラに出す民族なのであれの真似はできない。私の収入でやってたら狂人(くるんちゅ)だよ 怖いことにたまにいるけど くるんちゅ
話が逸れた
夕方はサンセットバーに行ったり、地元の魚マーケットで魚を購入して、焼いてもらって食べたり。
ラブハンバジョーのいいところ、こんな感じでローカルのインドネシア人の生活が覗き見れるところだと思う バリだと見れない(バリ人は都会人なので)
特に夕方海岸を歩くと、地元の人たちも夕日を見に堤防に集まっていて、
この人たちにとっては珍しくない景色のはずなのに、
こんな感じで毎日ゆっくり夕日を見るのが習慣になってるのはいいなぁ〜と感じた
地元の魚市場。小さめの鯛?を注文すると、野菜・ご飯も付いてくる。約400円。安い。
雨季だからほどほどに雨がふるのだけど、そのおかげでたくさん虹がみれて感動
大晦日は船の上のホテルで年越し
31日は朝からダイビングして、その後は海の上の船がそのままホテルになったフローティングホテルに宿泊!
もともとこの旅行は、このホテルで年越しを過ごすことを目的に動いていた
イメージほど高くないよ 一泊5,000円くらい。(二人部屋なので二人だとこの半分)
その分施設のレベルは旅行上級者向け(シャワー設備等がバックパッカー標準)
このホテル(というか船・・・)まず10部屋しかなくて、そして全ての部屋が海に面しており
当然のごとくエアコンなんてない。でも扇風機があるので快適。
前の記事でも書いた通り、私は「4月始まり派」で年末年始特に振り返ったりはしないんだけど
紅白TLを眺め、今年iTunesでDLした曲を聴きながらゆっくり過ごすのもとても良かった
初めてのソロ大晦日・・・と言いたいところだけど
家族で帰省してた時も、眠くなったら年越しを待たずに布団に入っていたし
一人になりたかったら布団でのんびりしてたし、別にそういう特別感はなかった
船の上だけど、港から10分くらいなので出前ができる。
これは出前したパッタイ。味はいいが見た目の投げやりがすごい(船便だから仕方ない)
初日の出も船の上
部屋がアウトドアなおかげで、明るくなってくるとアラームなしで目が覚めて初日の出を見ることができた。
船の上からの朝日は残念ながら二日前コモドツアーで見てしまったので初回ほどの感動はなかったけど、やっぱりめちゃくちゃ良かったなぁ
人類に必要なのは南国と海
海を見ながら食べるとなんでも美味しい。
インドネシアの美味しくないパンも、卵と野菜炒めと一緒だと不思議と美味しいんだよこれが
調理風景を見ているとウケるくらいのマーガリン使ってたりするんだけどこの日は見てないからセーフ
正月感が全くないので、のんびり昼寝したり、周辺をシュノーケリングしたりしながら船の上で過ごす。自由。・・・と言いたいけど送迎の船の時間を気にしながらだったから、2泊くらいすればよかったとも思った。
SUP(スタンドアップパドリング)やシーカヤックの貸し出しもあった
そろそろ船の上も飽きたので、陸に戻りました
地中海レストランへ。
刺身が食べたくてカルパッチョを頼んだけど
カルパッチョっは刺身とは結構離れてる概念だと実感する結果になった
店によるかもしれないけどカルパッチョの主役って調味料とバジルだよね
刺身の主役は魚肉だけど そういう違いを感じた元旦のインドネシア
(カルパッチョ美味しかったけど)
この日の宿はこんな感じです 1800円くらい
直前にとりすぎて、あまり人気のない宿しか空いてなかったのだけど
人気のない宿はハズレ率が高いことを知った、結構暑かった
最終日・バリでトランジット8時間の過ごし方
最終日。朝9時の便と早いけど、直行便がないのでバリで乗り継ぎ待ちが8時間。
こちらはラブハンバジョー空港内の土産屋の様子
行って初めてびっくりしたんだけど、コモド、お土産がまっっっっっっったくしょぼいの 本当に!!!!
コモドグッズ、・木彫りのコモドドラゴン・Tシャツ・織物 完 て感じ まじか
日本の感覚だと「コモドドラゴン型クッキー」はあってほしいんだけど・・・・・ないんだよね
仕方ないので、フローレス島産のコーヒーとコモドの小さい木彫り人形と、本物かどうか怪しいパールのピアス(800円)を購入。
インドネシア、観光地のポテンシャルがすごいんだからもっと観光客の消費意欲を上げるような施策があればいいのになぁ・・・それが安定収入に直結する保証はないのでここで言うだけだけど
朝の10時くらいにバリについて、夜の20時にバリを出発までの時間の潰す必要があった。疲れてるしバリは本年度4回目なので観光へのやる気は低い。
とりあえず昼食。海を見ながら魚を食べる
空港から20分ほどの場所にある、ジンバランビーチに向かった。
このビーチは透明度はそんなに高くなく(バリの首都付近は海が綺麗ではない)
完全に、波の音とサンセットを楽しむ場所。
量り売りの魚を購入して、ビールを飲みながら焼きあがるのを待つ。
ジンバランビーチは夕方はかなり混むみたいなんだけど、昼はとても空いていて
波の音を楽しみながらくつろぐことができた。800円くらい。
なんかビールめっちゃ好きな人みたいになってるけど
私の普段いる場所、ムスリムが多くて基本的に酒を売っていないので
観光地に来た時に頼んじゃうという理由があります
この時点でまだ12時。20時のフライトまでまだまだ時間があるので、
デンパサール(州都)に移動してミュージアム巡りをすることに。
バリ博物館(Museum Bali)
デンパサール博物館は、ジンバランビーチからは40分、空港からは20分ほどの位置にある歴史博物館。
バリの伝統工芸や歴史に関わる資料が展示されている。
内容はこじんまりとしていて、30分ほどで見終わってしまえるけど
展示品がとてもエキゾチックでよかった。入場料400円。
ウェルディヒ文化芸術センター(Werdhi Budaya Art Center)
続いて、博物館から10分ほどの位置にあるアートミュージアムへ。
現代アートミュージアムではなく、伝統的な手法での芸術作品が多くて良かった。
バティック絵画や祭りの装飾品の展示など。
ただ、彫刻の階には「拷問部屋?」てくらい大量の蚊がいて
駆け足で見回った。写真構えると10匹くらいの蚊がカメラにインしてくるから鑑賞どころじゃない。
監視員に「Banyak nyamuk !!(蚊がいっぱい!!)」て文句言ったけどハハハって感じだった ほんとなんで屋内でそうなるんだという話だよ・・・・・・
この施設は年に1回行われる、1ヶ月間のバリアートフェスティバルの会場らしい。
あまり有名観光地でないが、常設展示はとても、本当に、蚊がいる以外は素晴らしいので勿体無い・・・
バリに来て、バリの美術品を見たい!と言う人はウブドに行くともっとたくさんの美術館があるのでウブドにいくのをお勧めする(ウブドはタクシー往復4000円くらいかかるので今回はパス)
ほどほどに疲れたので、4時ごろバリの空港に戻りPC作業をしながら飛行機を待ってこの旅行は終了。
まとめ
かかった費用はだいたい12万円くらい。
高いのか低いのかわかんないや・・・けど極力安宿だったし結構限界旅行だった気がする 航空券さえミスってなかったら8万以内で行けたと思う Trip.comゆるさん
ちなみにコモドツアー、バリからのオプショナルツアーも多い。ただ航空券付きと日本語ガイド付きで6万円と中々高く、ガッツがあれば自力で英語使って行けば3万くらいで済むはず
コモドドラゴンの名前の有名度合いの割には、観光客少ないので、日本人にオススメしたい!コモド。
そんなに遠くないよ、コモド。1週間くらい休み取れたら絶対来れる。
殺傷能力があるので撫でたりできない生き物だけど
大きくてのそのそした生き物が好きな人は是非コモドに来てほしい
節目を祝う能力がない
今週のお題「2020年の抱負」
「年が明けておめでたい」という感覚がよくわからない
いや、ただの挨拶だよ!というのはわかるんだけど
ただ、正月に限らず、誕生日などを祝うイベントについて、世間の祝い方を飲みこてないな......?と感じることが昔からあり
最近、
「節目を祝うのは先天的な能力」
という仮説と
「そもそも、節目を祝うイベントが多すぎるのでは?」
という仮説を
立てて過ごしているという話
お正月は好き
まず弁解しておくと、「お正月を祝う」について納得しきれていないだけでお正月は好き。
理由は寒い冬に休めるのが最高だし美味しいものが集うのも最高だから(IQ5)
おそらく、うちの家族は親戚が少なく、毎年父方の実家に帰省するとき大所帯にならず、他の人から正月のストレスとして聞く「関わりの薄い親戚にプライバシー踏み込まれる」的なイベントがなかったからだと思う。そんなイベントあったら絶対正月嫌いになってる
一応、家族でおせちを囲むときは家長が
「今年も家族揃って新年を迎えられて〜」と短いあいさつをする。
大学生くらいまでは、早くおせちを食べたくて全くこの時何も考えてなかったんだけど、しばらくしてから
「あ〜1年平穏に終えられたことを祝う行事で、だから身内が無くなったら年賀状出さないのか。」
とやっと納得した記憶がある 本当に気づくのが遅い......
年賀状を書くのは嫌い
年賀状かくのはめちゃくちゃ嫌いだった......大学入った時くらいから書いてない
何が嫌かって、
「年があける前から「明けましておめでとう」を書くことへの違和感」とか
「意外と締め切りがはやい」とか「の割に締め切りが曖昧」とか
「人間関係の棚卸ししたくない」とか
まぁ色々私の性格と合わない理由があり......こう書くと理由全部子供かって話なんだけど......
年賀状文化の否定じゃなくて、私は上記の理由でやらなくなったというだけの話で
貰うのとか年賀イラスト見るのはすごい好き。なんなら私も暇があれば描きたい、それくらい気楽なものでありたい
2月に届いてもよくない?(実際友人からの年賀状3月に届いたことある)
ただ、やはりよくよく考えて見ると、理由の一番上の
「年が開けておめでとう」が理解できていないから
上記のハードルでつっかえているんだと思う 子供か
年賀メール・ライン
これはね......苦手......普通のやつはいいんだけど
今年、2年前にイベントで知り合って連絡先を交換した女性(20代後半・絶対ビジネス勧誘)から2年連続で同じ文面でメールが届いててマジでこわい
いや面白いからブロックせず観測してるんだけど......
1年前のも返信してないのに、そのまま同じ文章を送りつけてる機械的作業感が本当に興味深くて......
おそらく数百の人間に同じ作業を行っているんだろうけど、どういう心情で元旦からそれをやっているのか......つまりこういうことを元旦から考えさせられるので辛い
ブロックしたいけど結局興味でまたブロックしてない
あなたと楽しく騒いだ記憶はないのに「またワイワイしたいね!」て書いてあるのがこわい
逸れた
会社の年末挨拶
会社に入って驚いたのは、年末に得意先に挨拶に行くこと。(受注産業なので)
受注産業じゃなかったら触れない文化だと思うので「挨拶」について細かく書くと、
得意先の担当者に、担当営業・部署の営業部長・企画スタッフとかでぞろぞろと挨拶に伺う。手土産の2020カレンダー携えて。
企画は関係が深い得意先だけ同行するだけど、営業はもう年末1週間は挨拶祭り。
うちの会社はとにかく得意先が多いので......多分営業は挨拶祭りと忘年会が年末の仕事になっている
まぁそれで繋がる仕事もあるので大事な行事だと思う
ただ「挨拶」が苦手な私は「営業じゃなくてよかった〜〜〜」と胸をなでおろす時期
企画側は企画側で、外部デザイナーに発注する立場だから
外部デザイナーに挨拶にきてもらう側ではあるんだけどね・・・お菓子もらえて嬉しい(子供?)
でも超超超得意先くらいかなぁ 制作側は少ないと思うこの慣例
つまり・正月まとめ
「あけましておめでとう」が「無事平穏に1年を終えられ、迎えられることの祝辞」
であることはなんとなく理解してるけどその気持ちが素直に「あけましておめでとう」という言葉にスーーーッと繋がって発せられるかというと
まだちょっと抵抗があるなぁと感じる
友人に、「よいお年を」というフレーズが地雷の子がいて
わたしは「よいお年を」は「じゃあまた来年!」
くらいの感覚で使うことができるけど
人それぞれ納得できないポイントがあるのは面白いなぁ〜と思う
その子はコピーライター職だから言葉にこだわりあって自分の納得してない言葉を使うのにストレスがあるのかもしれない とも思った
ちなみにインドネシア・マレーシアもSelamat akhir tahun(いい年末を)みたいな同じ慣用句を使う。(Selamat=スラマット はおめでとう、にもただの挨拶にも使う スラマッ(ト)パギは「おはよう」)
でもまぁ、インドネシア・マレー語って出来て間もない言語だし
日本の占領統治時代とその後の教育によって植え付けられた慣用句である可能性もかなりあると私は思うので「よいお年を」が万国共通の挨拶だよ、とも言い切れない
2・誕生日はよくわからない
まだ続きます
高校生の時くらいから、
「誕生日って何がおめでたいんだろう?」
というモヤモヤがつきまとっていたので、社会人になってからは積極的に忘れるようにしていた。今でも自分の誕生日を祝う感覚はわからない(この話をするとWind Climbing 〜風にあそばれて〜が流れる)
恥ずかしい話なんだけど、甥が生まれて1才を迎えた時に
「1年無事に過ごせたこと」を祝うという感覚をちゃんと理解した。
その時は産んでない私にも
「予定日より1ヶ月も早く生まれて、少し危険だった子が元気に健康に1才を迎えられておめでたい」という意味での「誕生日おめでとう」がわかった
多分、自分で頑張って立ち上げた会社の1周年!等なら同じ感覚で祝えるかもしれないともその時理解した。
だからこそ、自分の誕生日は自分で祝えない のだなぁとも思う
そういう意味では、きっと始点から知らないものの誕生日をすべて祝えないのだろうとも思った 二次元キャラの誕生日も多分祝えない 「続いているわけではない作品の周年」もそういう意味では祝えない
私が「節目を祝う能力が先天性」だと思うのはこのポイントで
世の中には
「始点や由来を知った上でないと祝えない人間(私)」と
「意味や前後の文脈を理解しなくても「ここがこの人にとっての節目だよ」と人から言われただけで気持ちを切り替え祝える人間」
の差が生まれつきの性格だと思うから。(つまり後者になるのを諦めた)
前述の「よいお年を」が苦手な友人は、二次創作のイラストの「今日の主役」タスキも地雷らしくて、ちょっと近いものがあると感じる
振り返りのタイミングとしての節目
私は「振り返る」ことは好きだし「気持ちを新たにする」のも好き。
そういう意味では年始も好きで、ただ・・・
その3ヶ月後にまた「年度始まり」が来て気持ちを新たにするのが、本当に微妙
今の日本社会において年末年始はあまり区切りでなく
どちらかというとスタートは4月なのにも関わらず正月もスタートっぽい扱いをされていて違和感がすごい(これは歴史や広告業界の都合もあるかも)
正月と新年度で2回、しかも3ヶ月という間隔で微妙すぎる
せめて6月とか中間にしようよ〜〜私が最初に仕組みを作るならそうする......
さらにややこしいことに、人によっては、誕生日を節目としている人もいる。
フェイスブックを見ていると、年末年始、4月、誕生日、転職、結婚......
みんな色々なタイミングで今までを振り返り、気持ちを新たにしている。
多い多い!振り返りのタイミングが多い!
いや多分振り返っている人はそれぞれ別の人で、年に何回も振り返っている訳ではないと思うんだけど.....
もしかしたら私は人の抱負や振り返りから、自分も学ぼうとしすぎているのかもしれない
だから色んなタイミングで情報が入ってくると不便に感じるのかも(新たな仮説)
まとめ
とっちらかったブログになったけど
とりあえず今考えていることをなんとな〜く文章にすることは
割と2~3年後に役に立つ!という気持ちでとにかく書いた。
結果書くことによって理解できるようになった点・どこで躓いているのかわかるようになった点もあるので良かったかもしれない
自分がひねくれてるのと大二病感も改めて自覚できた(自覚すれば治るわけでもないのが辛い)
今年のふわふわ目標は
「オタクはほどほどに」
「ちゃんとしたブログ・絵を書く」
です さっそく守れてないので幸先が悪い