とろ

なんとかならないか考え考え日が暮れる

美意識は嫌悪感でできている

私の好きな伊丹十三の言葉に

「美意識とは嫌悪感の集大成である」と言う言葉がある。

 

他人に厳しく自分に甘い私にとって、この言葉は批判ばかりの自分を肯定してくれる気がしてなんだかやたら気に入ってしまった。

 

これと対になる言葉だと勝手に思っているのが

ルフィのAAでよく使われる「何が嫌いかじゃなく何が好きかで自分を語れよ!!!」てやつ。

 

あぁいう正論を言われると

「ウッ…ですよね…」

と他者攻撃の感情が強い自分を情けなく感じてしまう。

 

 

 

ただ、好きで自分を表すか、嫌いで自分を表すかの是非は別として(答えはないし)

 

「何が好きで何が嫌いか、

何が正しくて何が正しくない、と自分は思うか」

 

をハッキリ自覚していることは、つまり美意識だと思う。

 

 

 

彼のエッセイで、伊丹十三は、はっきりと許せないものについて述べている。

その内容は、高度経済成長期の粗悪品に群がる人々への文句だったり、新しいファッションや着こなしについてだったり…

 

なんとなくわかる…と共感もできるし、

私がこの時代生きてたら、伊丹十三にみっともない女性の烙印おされてないとは言い切れないな、、と思っちゃうような、そんな鋭さでハラハラする。

 

 

かっこいいのは、彼は自分の美意識を他人に押し付け、圧迫しようとしているわけではないところ。

感じたことを感じたままに述べることで、自分の感性を確認しているような感じ。

 

 

これは今私にできていないところで、あーいうのはかっこ悪い、私ならしないなーってすぐ嫌味っぽく言ってしまうし、マウンティング表現しがちである。わざわざいうところがかっこ悪いのである。

 

 

 

伊丹十三は、あれはダメ、だから私はこうするんだ、て感じとは少し違って、

あぁやって簡易なものに走るのはよくない。こうやって手間をかけて味わうことがいいんですよ…と、ちゃんと他人と自分の美意識を切り分けて述べている。

それに、自分に厳しく、努力してきた実力家だから何言ってもかっこいい…

 

 

 

「ヨーロッパ退屈日記」

「女たちよ!」

 

この2冊を、雑誌でイモトが勧めてたから気になって読んだのがきっかけだけどとてもよかった。

古いから寝ない自信はないけど、映画もみてみたい。