東ティモールめっちゃよかった
2月下旬、6日間の東ティモール旅行
アジアで最も新しい国、東ティモールに行ってきた
タイトルに書いてるけどめっちゃよかった、
でも全員行け!オススメ!!みたいなよかったではなく(いや良いんだけど)
人生のこのタイミングで行けてよかったなぁ という話
とにかく写真だらけの旅行記
カメラのSDカード行方不明になったので全部iphone写真・・・・よく思うんだけどSDカードって生きてない?
●東ティモールについて 簡単に説明
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した、アジアで最も若い国。
国民の半分が1日2ドル以下で生活しているという貧国....(ではあるが天然ガスがあるのでアジアの中ではましな方)
大きさは、東京・千葉・神奈川を合わせたくらいの大きさ。
人口は岩手県くらいらしいです よくわからん!
ちなみに「ティモール」はインドネシア語で「東」という意味なので
東ティモールを直訳すると、「東東」。実際、占領時のインドネシアでの呼び名は「ティモールティモール」。
今は「ティモール・レステ」と呼ばれています
●旅行に行くことになった経緯
東ティモールは高校地理の授業で「アジアで一番あたらしい国」と習ってから、その響きに惹かれ行ってみたいとは思っていた。
インドネシアで、偶然東ティモールから旅行に来た同年代の子を案内する機会があり仲良くなったので「東ティモール遊びに行くね〜〜!」と言って実際に行った、みたいな感じです 軽
あとこの、チラシすごい良くないですか?
ぜんぜんデザインとかオシャレじゃないんだけど、パワーがすごい 行きたくなる
センスいいコピーも才能と技術だけどこういう飾らないまっすぐな言葉選びができる人は本当に羨ましい才能ですよね
●1日目・乗り換えはバリ経由。小さすぎる首都・ディリ
東ティモールへの直行便はバリ経由のみ。早朝バリに移動して、バリから2時間半のフライト。
空港は春節一色だった
(もともとインドネシアは春節は大きい催事の一つとして扱われる)
この時すでにコロナ防止策が取られて中国人へのVISA発給は止まっていたので、西洋人しかいなかったけど…
これはバリの国際線空港ターミナルで食べたアホみたいに高いパニーニ
バリの国際空港やばくて、国内線なら100円のカップ麺が600円で売られていたりする。
外国人のこと舐めすぎである
LCCだから機内食出ないと思ってたけど流石に出た。割と美味しい
●小さすぎる東ティモールの国際空港
これが東ティモールの国際空港。
イミグレーション(入国審査)、1つ!!!!!!
荷物レーン、1つ!!!!!しかも、5メートルくらい!!!!!!笑
今まで人生で利用した空港の中で、一番小さい空港で、正直驚いた。
飛行機も1日2便ほどしかないし、十分なのだろう・・・
●ミクロレット(乗合バス)に乗ってショッピングモールへ
空港に迎えにきてくれた友人と合流!半年ぶりの2回目の再会。
こちらが東ティモールでの交通手段、ミクロレット。
8人乗りくらいのミニバスで、市内の決まったルートを巡回している。
爆音で音楽が流れていて、音の振動を全身で感じられる
「うるさいから音量落として!」とお願いしてもしばらくすると音量が上がってくる
すごい髪のおじさん。天然ドレッド!
規模としては、「巨大イオンが支配するまで生き残ってた、田舎にある3階建てのスーパー」
みたいな規模
ほらあの1Fに結構大きい食品スーパーがあって2Fに服とかカバン、本屋がある感じの・・・
中は電気屋とか、なんでも揃う感じでした。映画館もあって、小さいけれど必要十分だった。
バーガーキングもあった。
●一番大きな市場・タイベシ市場へ
15時くらいに、東ティモールで一番大きな市場「タイベシマーケット」に連れていってもらった。
この市場は生活用品市場、という感じで、食物・野菜を基本に
服や洗剤等、電化製品や本以外はなんでも揃う・・・・と言った感じ。
売っているものは80パーセントくらいインドネシアと似ていたけど、だからこそインドネシアと違うものが興味深くて面白かった。写真はなくなったSDカードの中にあります。出て来てくれよ
これはミクロレットではなく、遠方に行くバス。東ティモールは岩手県くらい広いので、4−5時間ほど離れた場所にも町があります
●東ティモールの映えスポットへ
タイベシ市場から30分くらい、インスタ映え!というスポットへ。
高所の景色が良い場所に、写真を撮ったらいいかんじになるように足場(足場いうな)を作った場所!
インドネシアでもこのようなフォトスポットは最近流行っていて、アイデア輸入されてるな〜と面白く感じた!
●足を盛大に捻挫!翌日病院行きに
この日の夜、ホテルの近くでチーズを食べて帰りのタクシーに乗り込む時、
この歩道と車道の間にある謎の10cmほどの溝に足をつっこみ足首を盛大に捻った
本当に痛かった!!!!!!人生で最大級に痛かった これは折れた、と思った
人生で骨折したことないから、これが骨折か〜〜〜〜と思った
まぁ折れてなかったんだけど・・・・・
言い訳すると、インドネシアにはない!!こういう謎の溝は!!!
なぜならインドネシアは「歩道はバイク道」だから。バイクが車を抜かす時に乗り上げやすいよう、歩道と車道に段差はほぼない(地域による)
それもどうなんて感じだが
インドネシアにあるのは歩道が突然陥没していたりするトラップ。
ゲームだったらマップ切り替わるよここに落ちると
日本なら、もしここに市民が落ちて怪我でもしたら行政の責任だけど、インドネシアでは落ちた人の責任です
アプリ産業なんかは日本より進んでいる部分があるインドネシアだけど、首都ジャカルタでもこういう危ない場所は多いので
そういう意味で日本より30年遅れている、という説(これはインドネシア人がよく自虐でいう)は正しいとよく感じます
●翌日東ティモールの病院へ。レントゲン検査
翌日、嘘のように痛みがひいている期待はしたけどそんなはずもなく、痛みが悪化していたので
観光を諦めて病院に行くことに・・・
本当に付き添ってくれた友達には感謝しかない
捻挫か骨折かわからないんだけど、どこに行けばいい!?を相談できる関係者をあたってもらって、国立病院に来ることになりました。
この病院、東ティモール人は診療費無料らしい。
ものすごく人が多く、4時間かかる遠方から来ている人も。
人に聞きまくって、知り合いに助けられながら、なんとかレントゲン検査へ。
レントゲン検査にたどり着くまでもいろいろあったんだけど、(3時間くらい)
無事レントゲンを撮って、(結局これ・・・折れてるの?折れてないの??)が不明だったので午後の診察を待つことに。
が、結局午後の診察は医者がいなかったので、レントゲンの写真を知り合いの医者に送ってもらって、「まぁ折れてなさそう」という診断と痛み止めもらって終わった。(それでいいんかい)
結果論でいうと折れてなかったけど、過去イタリア旅行で、
「道でこけた後、ただの脱臼だと思っていた同行者が実は複雑骨折だった」
ということがあって、そこからは旅行中で怪我をした時こそ、
病院でちゃんと見てもらってちゃんとした判断をすることが大切だと・・・そう思ったんです・・・
ちなみにこの日は足が痛すぎて、丸一日
「巣にいる雛鳥を庇って怪我を負っているふりをする親鳥」
みたいな感じで足を引きずって歩いていた
●午後はレジスタンス博物館へ
東ティモールがポルトガルから独立した直後、インドネシアの侵略・占領があってから独立までの30年、略奪・虐殺・人権侵害の酷い状態だったんだけど
その間のレジスタンス活動を記録した博物館に行った。
今回のティモール旅行の目的の半分くらいはこれ。
写真下手なん?て感じだけど、ちゃんと取った写真はSDカードの中なんだよ
どちらにしても内部の展示は撮影禁止だったため写真はありません。
展示内容はパネル写真・映像がメインで物品は少なめ。
そしてポルトガル語と英語の説明しかない!!!!!!
私は英語能力はそんな・・・・なので事前に本を読んでいなかったら理解できなかった、事前を本を読んでいたから理解できた(炭治郎)
という感じ。でも行かないよりは良かったです
この博物館、規模は大きくないのだけど東ティモール最大の博物館でもある。
この日は東ティモールの離島・アタウロ島の民芸品の企画展を行っていた。
このほそ〜〜〜〜〜〜い人形は、インドネシア占領時の飢餓の様子をあらわしている・・・らしい・・・・
学芸員がギターハーモニカで歌い出したりしてまじ自由だった
(国で一番大きい博物館やで)
●東ティモールの旅行者とは
2日目は、ゲストハウスのみんなで夕食。
東ティモールに来る人はマジでいろいろ。
1ヶ月滞在しているオーストラリア人、
日本で英語教師をしていたこともある、インドネシア語が話せるノルウェー人、
インドネシア人など・・・・・
食卓も英語やインドネシア語やポルトガル語やテトゥン語(ティモールの言語)が飛び交っていてカオスだった
●離島、アタウロ島へ
次の日は首都ディリから離れ、近くにある離島・アタウロ島へ。
フェリーで約2時間という近い距離だけど、
週に2便しかフェリーがないく、なかなかの秘境。
友人はアタウロで働いていて、村で部屋の余裕がある一般家庭に長期間ホームステイしている。(アパートは島にない)
食事は出るがほぼ魚・そして塩味なので飽きるため、普段は自炊しているらしい。
私は3日だけの滞在だったので、飽きずに東ティモール食おいしいじゃん〜と楽しめた。
インドネシアと違って野菜をよく食べるのが素晴らしいと思う
●綺麗な海でシュノーケリング
首都ディリの海は汚かったけど、アタウロ島の海はほんと〜〜〜〜〜〜〜〜に綺麗だった!!!!
このきれ〜〜〜〜な海でシュノーケリングした美しい写真は、なくしたSDカードの中・・・・・・
友人はアタウロに住んで1年。
ほぼ全ての犬・村の人と顔見知りでよく「コレガ!!(=友達)」と声をかけられるので面白かった。
写真撮った後冗談でお金を要求される。
インドネシアではもう季節は終わったマンゴー、東ティモールはまだまだ季節だった。
そういえば昔、TVで
「フィリピンには街路樹がマンゴーの木で、スコールのたびに落ちて来るので拾っておやつにする」というのをみて以来 南国にものすご〜〜〜〜く憧れてたんだけど
こちらに来てからはもはや日常。マンゴーは高所からスコーンと落ちて来るので頭に当たったらそこそこの怪我を負うと思う
●2日目はダイビングへ・・・・・写真なし!!!!
2日目はダイビング!!写真はないけど綺麗な海でした。
こんな離島でもオーストラリア人が経営するダイビングショップはあって、実写版海賊みたいなおじさんが荒々しく経営しているショップだった。
●ウニ漁へ!!!!
昨晩、ホームステイ先のお父さんに、「今日シュノーケリングでウニをみた、食べたい」と話したら「ウニ漁する?」という話になり、ウニ漁をした(説明が雑)
このちっこいちっこい船でこいでいきます
なんてプリミティブ(原始的)な船だろう、4人しか乗れないし、降り方ミスると転覆しかける
味は・・・・・日本のウニとは全然違った、ムラサキウニなので全然ウニの味がしなかった・・・・・
けど楽しかったのでヨシ!!!!です
お父さんに聞くと、食糧難の昔は食べたこともあったけど、今食べる人はあまりいないらしい。
確かに剥く作業大変すぎて完全にエネルギーコストつりあってなかった
●夜は海で漁を見る
海までは歩いて10分くらい。
夜は夜光虫を眺めて遊んだり、漁から帰って来た船を見せてもらったり。
これは仕掛けておいた網を夜に引き上げ、魚を浜辺で回収しているところ。
みたこともないカラフルな魚が大量に見れて面白かった。
網を仕掛けてもまったく獲れない日もあれば、大量の日もあるそう。
この収穫した魚は、次の日の朝市で販売される。
●週に一度の朝市へ
3日目は島の港で週に一度行われる朝市へ。
市場が開かれる土曜日は、観光客や魚を買う業者が島に多く訪れる。
この市場は島の人々の貴重な現金収入のチャンスになっている。
こういう魚が売っていたり(この魚は沖縄にもたまにいる)
友達が目利きをして、タコとスマガツオ(あとで調べた)を購入。
タコ2匹で5ドル、カツオも2匹で5ドルだったかな?
野菜や道具
友人、この籠を使いこなしておりかっこよかった
私も日本から来てたら買ったんだけど、、、日本に持って帰るまでに絶対壊れるので買わなかった。
ファッションでなく、暮らしの中で息づいた道具で「ガチの民藝」という感じ
柳宗悦がみたら絶対興奮するよ・・・
東ティモールの伝統織物「タイス」で全身コーデしているおばあちゃんが本当にオシャレだった
東ティモールで売られている衣服は、基本的に先進国からの古着。
意識しないと気づくことはないが、こういう部分で貧国・・・というか援助で成り立っている国であることを実感する。
かわいい〜〜と思って買おうとしたこのアメリカンなワンピース(2ドル)、サイズが小さすぎて入らなかった。
東ティモール人、全体的にすらっとして手足が長い人が多い。ご飯めっちゃ食べるのに。
パプワニューギニアの人も基本的に細いので、基礎代謝が違うんだろうなぁと思う
●東ティモ・ランチ最終
カツオは友人が捌き、タコは口と内臓を取って茹でて、すだちを添えて刺身に。
もうめ〜〜〜〜〜〜〜っちゃ美味しかった 最高
人類に必要なのは刺身(東ティモールの人は食べません)
残りの魚は朝市で焼いてもらった。でもやっぱり赤身魚は刺身の方が美味しいね
●おみやげ屋さん巡り
フェリーの出航まで2時間ほどあったので、お土産を買いに隣の村へ。
boneka=人形という意味。
女性の収入向上目的で作られた人形工房。
いい意味で素朴な人形がたくさんあってとても良かった。(値段はひとつ15ドルくらい)
私はここで25ドルの米袋を再利用して作られたカバンを購入。
工房では、土曜にも関わらず大勢の女性が働いていた。
このように一つ一つミシンで、細かい模様をつけて独特の味がある布を作っている。
建物の外をよくみたら日本国旗が。日本の援助かNGOが立ち上げた組織らしいが、現在は手離れして住民だけでやっていっている。
ただ、外国人の需要を読み取りきれていないのでは・・・と思う部分は少しあり
手離れするまでに色々あったとは聞いたが、少し惜しいなと思った。(外国人に売りたいなら!)
●アタウロ島から離脱。大雨に降られながらフェリーへ
東ティモールは現在雨季。
午前中は気持ちいい晴れの日も多いけど、午後15時以降は何もできないくらいの豪雨に襲われる。
この日もすごいスコールで、この雨に降られたことが原因でこの夜発熱した・・・・・
行きのフェリーの中で友達が、「帰りのフェリーになぜか毎回、サンゴを手持ちで運ぶ中国人観光客がいる」と言ってて何それと思ってたんだけど帰りのフェリーに本当にいて伏線回収で笑った
首都ディリに戻り、ホテルに泊まった夜、発熱。
「もしかしてコロナ!?」とかなり焦ったんだけどそこら辺の流れはあまり面白くないので割愛。
バリの空港がコロナ騒ぎで厳しく、熱があると入国がめんごくさくなるので
解熱剤で無理やり熱を下げ、次の日の14時に飛行機で帰国しました。
発熱すると楽観的人間でも弱気になるもので、
「このまま日本に強制送還される最悪のパターン」まで想像した。
教訓:スコールで濡れたらすぐ着替えないと風邪をひく
この右端にある島、ヌサペニダ島といって海がま〜〜〜〜〜〜じで綺麗。バリに行く際は是非
●旅のまとめ(お土産など)
荷物重いのが本当に嫌いなので、色々削ぎ落としまくって、リュック+ショルダーバックという軽装備。
最近の結論は「充電器あればなんとかなる」
こちらが今回東ティモールで購入したおみやげ。
右のカバンが、25ドルで購入した米袋のカバン。
アジアとか旅行するときはこういう子供っぽいカバンの方が、ガチのバックパッカーっぽくなくていいのでは?と思って購入した かわいくない?
左上の布が東ティモールの伝統織物「タイス」。30×150cmくらいのサイズで15ドル。
なかなか分厚くてカバンくらいにしか使えなさそうだけど、せっかくだし...(物を買うとき何も考えない)
このシュシュ、かわい〜!と購入したけど後から友達に、「それ、ゴム伸びる???」
と聞かれ伸ばしてみたらまったく伸びなくてわろた
マーケットで購入した、手編みの小物入れ。二つで150円くらい。やすぅい
現地の人はここにお金を入れて財布がわりに使うみたい。
パッションで買ったので何に使うか全く決めてません でも可愛くない???
左上のリングは、1ドルで買った鼈甲のピアス。
ウミガメ漁は現在禁止されているけど、アタウロ島では禁止される前の鼈甲をつかった加工品が多く販売されている。(ほんとうに現在漁をしていないかは怪しいところ)
インドネシア来てからピアス10個は余裕で買ってるんだけど、性格的にすぐなくすから多いくらいがちょうどいいねんな・・・・
これ買ってん〜〜〜て言うと5 人中4人に「何で買った!?!?」と言われるであろう置物も買った
この記事に書いてる理由半分、アタウロの人の収入向上に貢献したかったのが半分です
漁を見せてもらったり、他にも色々お世話になったからお金を落としたかった、
オタクだからこういう考え方をするのかもしれない
今東ティモールが力を入れている産業がコーヒー。
私はコーヒーに関して偏差値が低いので違いはよくわからないけど、とりあえず職場のお土産に買って帰った。(というか食品のお土産がこれくらいしかない)
おいしかったし職場の話題になってよかった
これはおまけ。カバンを購入した時にもらったショッパー。
なぜこの写真を載せるかというと、これが「典型的な先進国のレクチャーの産物」と思ったからです 悪い意味じゃないよ!!
インドネシアに来る前に一定期間の研修を受けた中に、こういう
「新聞でショッパーをつくってみよう!」というワークショップを受けたことがあり
このワークショップを経験しなければなんとなく受け取っていたショッパーだけど
私は過去の経験があるから、これをみた時に「このアイデアを教えたのは先進国だな」とはっきり感じた、ということをどこかに書いておきたかった
●旅行まとめ・感想
記事タイトルの繰り返しになるけど、行って本当に良かったと思う。
インドネシアとの関わり、独立戦争時に無視しまくった日本政府のあれこれいろいろ書くべきこと・今後も学ぶべきことはあるんだけど
事実として感じたことだけここに書いておく
長いので読む必要はあまりないかと思います。実質旅行記はここで終わり
(別記事にしようかと思ったけどそうすると書かないのでここに書きます)
●人が本当に優しい
本当にこれ。インドネシア人も優しいけど、東ティモールの人も本当に優しかった。
そして親身だった。
東ティモールを歩いていると、よく「コレガ!!」と声をかけられる。
ポルトガル語(とテトゥン語)でコレガ(collega)とは「兄弟、友達!」みたいな意味で、多分呼びかける方は「やぁ!」みたいな意味で使っている。
そんな風に、知らない旅行者でも気軽に呼び止めて、助けてくれるのがすごいいいなぁと思った。
出国する際、申請書類を書く場所でペンがなくて困っていたら10mくらい先の売店のお姉さんに「コレガ!!」と呼びかけられ、ペンを貸してくれたときに本当に、本当に東ティモールのひとたちいい人たちだと思った
●人が明るい。インドネシアを恨んでいない(ように見える)
インドネシア独立戦争時の虐殺の話を勉強してから行ったので、
暗い空気が覆う国なのかも.....という想像をしていたけど、人々は本当に明るかった。
そして驚いたのが、あれほどひどいことをしたインドネシアを恨む気配がなかったこと。
私がインドネシア語を使っても、「インドネシア語できるの!?すごーい!」という感じでにこやかにインドネシア語で話してくれた。(2002年までインドネシアだったので、大人はインドネシア語がかなりできる)
これはかなり予想外だった。私が見たのは旅行者として、東ティモールのほんの一部であることを考慮しても・・・・
ちなみに対中感情は悪いらしい。理由は中国企業が支援の名目でインフラ整備を行っているが、中国人を雇用するためティモール人の収入向上につながらないから。
(又聞きなので一意見として聞いてくださいねこの辺りは)
首都で歩いていると結構中国人と勘違いされ「コロナ!」と呼ばれたりした
日本人すくないから仕方ない
●未来色?→元が悪すぎて良くなってしかいない
東ティモールのインフラは、正直良くない。インドネシアからみても、良くない。
アタウロ島なんて、最近は7-18時までずっと停電。
冷蔵庫はあっても意味がないし、PC作業も扇風機も昼は使えない。道路はまだまだ。
ただ、現地人へのインタビュー読むと「東ティモールのいいところは?」という質問に
「整備されたインフラ!!」と答えている東ティモール人がいた。
在住外国人からすると「いやいやいや・・・・」ではあるんだけど、東ティモールの人から見たら、「10年前より、去年より、どんどんインフラがよくなっていっている」ということは事実なんだよなぁと思った。
それほどインドネシア、ぐっちゃぐちゃにしてから引き上げたからな・・・
●インドネシアが悪いか?
東ティモールの歴史を勉強していると、インドネシア・・・やば・・・
と思っちゃうんだけど、実際に暮らしているインドネシア人は本当に温厚なので、正直この民族がそんな人権侵害を行うなんて、、と信じがたい気持ちが多い。
一応理由があって、この時代のインドネシアは30年間スハルト大統領がほぼ独占政治を行なっており、思想弾圧も厳しく、国民が国をどうこうできる状況になかった。軍と汚職にまみれた政府の独壇場だった。
あまり詳しくないけど・・・今の中国が行なっている人権侵害もおそらく同じような状況だよなぁ、と思う
東ティモールがこの状況をどうやって脱したかは説明すると長いし自信ないので説明しません
●惜しい点・インドネシア占領時代のことを学べる場所が少ないこと。
これに関しては、「東ティモールの人あまりあの時代のこと話したがらない」と友達は言っていた。それを聞いて、本当の意味でまだ傷は癒えていないし、今は生きていくので必死なのかもしれないと思った。
観光業界目線だと、ダークツリズムの流行を汲んで、その辺りを学びたい外国人に向けて観光開発すればいいのに・・・と思ってしまうんだけど
東ティモールの人たちが多分まだそういう段階にない以上
外国人目線で開発するのも違うかもな〜と感じた。
単純に旅行としても良かったけど、上記のよう
なふわふわとした考えを得られたというのが良かったな〜〜〜本当はもっと映画とかみてから行きたかったんだけど・・・