自己肯定感という言葉が嫌い
自己肯定感という言葉がわ、わからん わからん…
と思いはや6年ほど
最近やっと、もしかして自己肯定「感」じゃなくて自己肯定「力」に1文字置き換えることで納得できるんじゃない!?となった話
「自己肯定感が低い」という人の人物像はわかる気がするし、その人たちが抱えているモヤモヤ自体を否定する意図はなくて、
単純に、「自己肯定"感"」という言葉チョイスが微妙じゃない?という文句です
「無力感」だったり「達成感」だったり、そもそも私はあくまで「〇〇感」という単語を一時的な感情と思っている
というか使い方的に、長期的な感情に対して使う言葉ではない気がする
「充足感」であれ、10年以上長期間続く状態には使わなくないか…??
なのにインターネットでは、
「自己肯定感を高める方法」
「自己肯定感が低い人へ」
といった、
一時的ではなく永続的要素のような使われ方がされているから、まず日本語的に引っかかるんだなぁと思った
「感」の漢字が表す期間は置いておいて、
「感情」の作用が何になるかの話で考えても違和感である。
「自己肯定感」に関する言説を色々読んでいると、どうやら「自分で自分を褒められている・認められてるという感覚」のことらしい。
でも、そうだとしたら、「上げる」べきなのは「感覚」じゃなくて「力」じゃない???
「自己肯定力」を上げた結果、「自己肯定感」が達成されるのではないの???
何かが作用して、感覚を達成するんだから、作用させる「力」が必要で、「自己肯定感を上げる」という言葉にはそこがさっぱりと抜けていて、「自己肯定力を上げることで自己感が満たされます」だったら、ものすごく納得できる。
そう、必要なのは 力
力って、そんな頑張ってつけなければいけない物ではなく、どっちかというとテクニック的な物なので、世にある「自己肯定感本」に書いてある「凹んだ時は過去の自分の出来たことを見返しましょう!」などはあながち間違いでは無いのだと思う。
結局、「まぁ私そこそこ頑張ってやってきたんじゃない?そこ人と比べても今の私変わらんから、もっと頑張る」か「これでいいや〜」てするかのどっちかだと、割り切る力なんだと思う。
自己肯定力が低い、高いって、考え方の話だから生まれついてのものだと思っていて…せいかくが「しんちょう」のポケモンが、特攻を後天的に上げようとするなら、そこで必要となるのは努力値でも薬でもなく、相手の特防を下げる技とか、自分の特攻を上げる技なんよ…(急にポケモン育成の話になるな)
何が言いたいかというと、自己肯定感が低い自分を変えなくてもいいと思うのよ
自己肯定する力が低いかもしれない!と思って、下がった時に転換するテクニックを身につける方がいいんだと思う
その点で言うと、「自己肯定感を上げるために」みたいな本の内容は間違ってはないんだけど、「自己肯定感」という単語は、
「一旦上げたら永遠に上がる」みたいな使われ方をしていて良くないので、「自己肯定力を付けて、否定に入った時すぐ抜け出す方法」とかにした方がいいと思う。
その表現だと、「自己肯定感が低い自身は変わらないけど、嫌な気持ちになった時の回避行動が早くなるだけ」と思えるから、「自己肯定力が低い自分」自信を認めることができる…と思うのよね
ここまで読んだ人ならわかると思うけど、私は全く自己肯定感低くない人種です。でもそれって自分の努力でも何でもなくて、生まれつきだと思うので、「自分は自己肯定感が低い…」とずーっと悩んでる人を見ると、
「私よりめちゃくちゃしっかりしてるのに、な、悩まないで…!!自己肯定感なんて言葉に煽られないで…」と思ってしまう。
私から見ると、自己肯定感が低いと思ってる人の方が、結局努力家で絵がうまかったりするのである。
私はちゃらんぽらんで雑なので、そういう人のストイックなところが時々羨ましいのである。
完