節目を祝う能力がない
今週のお題「2020年の抱負」
「年が明けておめでたい」という感覚がよくわからない
いや、ただの挨拶だよ!というのはわかるんだけど
ただ、正月に限らず、誕生日などを祝うイベントについて、世間の祝い方を飲みこてないな......?と感じることが昔からあり
最近、
「節目を祝うのは先天的な能力」
という仮説と
「そもそも、節目を祝うイベントが多すぎるのでは?」
という仮説を
立てて過ごしているという話
お正月は好き
まず弁解しておくと、「お正月を祝う」について納得しきれていないだけでお正月は好き。
理由は寒い冬に休めるのが最高だし美味しいものが集うのも最高だから(IQ5)
おそらく、うちの家族は親戚が少なく、毎年父方の実家に帰省するとき大所帯にならず、他の人から正月のストレスとして聞く「関わりの薄い親戚にプライバシー踏み込まれる」的なイベントがなかったからだと思う。そんなイベントあったら絶対正月嫌いになってる
一応、家族でおせちを囲むときは家長が
「今年も家族揃って新年を迎えられて〜」と短いあいさつをする。
大学生くらいまでは、早くおせちを食べたくて全くこの時何も考えてなかったんだけど、しばらくしてから
「あ〜1年平穏に終えられたことを祝う行事で、だから身内が無くなったら年賀状出さないのか。」
とやっと納得した記憶がある 本当に気づくのが遅い......
年賀状を書くのは嫌い
年賀状かくのはめちゃくちゃ嫌いだった......大学入った時くらいから書いてない
何が嫌かって、
「年があける前から「明けましておめでとう」を書くことへの違和感」とか
「意外と締め切りがはやい」とか「の割に締め切りが曖昧」とか
「人間関係の棚卸ししたくない」とか
まぁ色々私の性格と合わない理由があり......こう書くと理由全部子供かって話なんだけど......
年賀状文化の否定じゃなくて、私は上記の理由でやらなくなったというだけの話で
貰うのとか年賀イラスト見るのはすごい好き。なんなら私も暇があれば描きたい、それくらい気楽なものでありたい
2月に届いてもよくない?(実際友人からの年賀状3月に届いたことある)
ただ、やはりよくよく考えて見ると、理由の一番上の
「年が開けておめでとう」が理解できていないから
上記のハードルでつっかえているんだと思う 子供か
年賀メール・ライン
これはね......苦手......普通のやつはいいんだけど
今年、2年前にイベントで知り合って連絡先を交換した女性(20代後半・絶対ビジネス勧誘)から2年連続で同じ文面でメールが届いててマジでこわい
いや面白いからブロックせず観測してるんだけど......
1年前のも返信してないのに、そのまま同じ文章を送りつけてる機械的作業感が本当に興味深くて......
おそらく数百の人間に同じ作業を行っているんだろうけど、どういう心情で元旦からそれをやっているのか......つまりこういうことを元旦から考えさせられるので辛い
ブロックしたいけど結局興味でまたブロックしてない
あなたと楽しく騒いだ記憶はないのに「またワイワイしたいね!」て書いてあるのがこわい
逸れた
会社の年末挨拶
会社に入って驚いたのは、年末に得意先に挨拶に行くこと。(受注産業なので)
受注産業じゃなかったら触れない文化だと思うので「挨拶」について細かく書くと、
得意先の担当者に、担当営業・部署の営業部長・企画スタッフとかでぞろぞろと挨拶に伺う。手土産の2020カレンダー携えて。
企画は関係が深い得意先だけ同行するだけど、営業はもう年末1週間は挨拶祭り。
うちの会社はとにかく得意先が多いので......多分営業は挨拶祭りと忘年会が年末の仕事になっている
まぁそれで繋がる仕事もあるので大事な行事だと思う
ただ「挨拶」が苦手な私は「営業じゃなくてよかった〜〜〜」と胸をなでおろす時期
企画側は企画側で、外部デザイナーに発注する立場だから
外部デザイナーに挨拶にきてもらう側ではあるんだけどね・・・お菓子もらえて嬉しい(子供?)
でも超超超得意先くらいかなぁ 制作側は少ないと思うこの慣例
つまり・正月まとめ
「あけましておめでとう」が「無事平穏に1年を終えられ、迎えられることの祝辞」
であることはなんとなく理解してるけどその気持ちが素直に「あけましておめでとう」という言葉にスーーーッと繋がって発せられるかというと
まだちょっと抵抗があるなぁと感じる
友人に、「よいお年を」というフレーズが地雷の子がいて
わたしは「よいお年を」は「じゃあまた来年!」
くらいの感覚で使うことができるけど
人それぞれ納得できないポイントがあるのは面白いなぁ〜と思う
その子はコピーライター職だから言葉にこだわりあって自分の納得してない言葉を使うのにストレスがあるのかもしれない とも思った
ちなみにインドネシア・マレーシアもSelamat akhir tahun(いい年末を)みたいな同じ慣用句を使う。(Selamat=スラマット はおめでとう、にもただの挨拶にも使う スラマッ(ト)パギは「おはよう」)
でもまぁ、インドネシア・マレー語って出来て間もない言語だし
日本の占領統治時代とその後の教育によって植え付けられた慣用句である可能性もかなりあると私は思うので「よいお年を」が万国共通の挨拶だよ、とも言い切れない
2・誕生日はよくわからない
まだ続きます
高校生の時くらいから、
「誕生日って何がおめでたいんだろう?」
というモヤモヤがつきまとっていたので、社会人になってからは積極的に忘れるようにしていた。今でも自分の誕生日を祝う感覚はわからない(この話をするとWind Climbing 〜風にあそばれて〜が流れる)
恥ずかしい話なんだけど、甥が生まれて1才を迎えた時に
「1年無事に過ごせたこと」を祝うという感覚をちゃんと理解した。
その時は産んでない私にも
「予定日より1ヶ月も早く生まれて、少し危険だった子が元気に健康に1才を迎えられておめでたい」という意味での「誕生日おめでとう」がわかった
多分、自分で頑張って立ち上げた会社の1周年!等なら同じ感覚で祝えるかもしれないともその時理解した。
だからこそ、自分の誕生日は自分で祝えない のだなぁとも思う
そういう意味では、きっと始点から知らないものの誕生日をすべて祝えないのだろうとも思った 二次元キャラの誕生日も多分祝えない 「続いているわけではない作品の周年」もそういう意味では祝えない
私が「節目を祝う能力が先天性」だと思うのはこのポイントで
世の中には
「始点や由来を知った上でないと祝えない人間(私)」と
「意味や前後の文脈を理解しなくても「ここがこの人にとっての節目だよ」と人から言われただけで気持ちを切り替え祝える人間」
の差が生まれつきの性格だと思うから。(つまり後者になるのを諦めた)
前述の「よいお年を」が苦手な友人は、二次創作のイラストの「今日の主役」タスキも地雷らしくて、ちょっと近いものがあると感じる
振り返りのタイミングとしての節目
私は「振り返る」ことは好きだし「気持ちを新たにする」のも好き。
そういう意味では年始も好きで、ただ・・・
その3ヶ月後にまた「年度始まり」が来て気持ちを新たにするのが、本当に微妙
今の日本社会において年末年始はあまり区切りでなく
どちらかというとスタートは4月なのにも関わらず正月もスタートっぽい扱いをされていて違和感がすごい(これは歴史や広告業界の都合もあるかも)
正月と新年度で2回、しかも3ヶ月という間隔で微妙すぎる
せめて6月とか中間にしようよ〜〜私が最初に仕組みを作るならそうする......
さらにややこしいことに、人によっては、誕生日を節目としている人もいる。
フェイスブックを見ていると、年末年始、4月、誕生日、転職、結婚......
みんな色々なタイミングで今までを振り返り、気持ちを新たにしている。
多い多い!振り返りのタイミングが多い!
いや多分振り返っている人はそれぞれ別の人で、年に何回も振り返っている訳ではないと思うんだけど.....
もしかしたら私は人の抱負や振り返りから、自分も学ぼうとしすぎているのかもしれない
だから色んなタイミングで情報が入ってくると不便に感じるのかも(新たな仮説)
まとめ
とっちらかったブログになったけど
とりあえず今考えていることをなんとな〜く文章にすることは
割と2~3年後に役に立つ!という気持ちでとにかく書いた。
結果書くことによって理解できるようになった点・どこで躓いているのかわかるようになった点もあるので良かったかもしれない
自分がひねくれてるのと大二病感も改めて自覚できた(自覚すれば治るわけでもないのが辛い)
今年のふわふわ目標は
「オタクはほどほどに」
「ちゃんとしたブログ・絵を書く」
です さっそく守れてないので幸先が悪い