豆腐は虚無の食べ物
虚無の食べ物ときくと何が思い浮かぶかは人それぞれだとは思うけど、私にとっては
「豆腐」
が虚無の食べ物である
嫌いではないけど好きでもない…
というような曖昧な表現ではなく、
「虚無」
なのである
小さい頃から「冷奴」というメニューが好きではなくて、親からも「あんたは冷奴嫌いだもんね」と言われてたんだけど、私からすると少し違う。
私にとって豆腐は「無」だから、冷奴は「無に醤油と薬味をのせたもの」だった。
つまり調味料オンリー。
そんなメニューが食卓にあるとガッカリするのは当たり前で、「嫌い」とか「食べたくない」とかそういう感情ではない。全然食べれるんだけど、食べても無だから楽しくない。
これは暖かい豆腐でも同じで、鍋の豆腐も避けていた。小さい頃は親が鍋をとりわけてくれたけど、豆腐が入っていると文句を言った。好き嫌いするな、食べろと言われたから食べたけど、今考えても豆腐を無だと思ってる人間に食べられる豆腐もかわいそうだから別の人が食べるべきだった。
小学生までは騙し騙しなんとかやってきていたんだけど、中学校になって豆腐を美味しい!とするテレビ番組や周りの反応を見ていて、「なんか私の認識してる豆腐とみんなの認識してる豆腐って違うな!?」と思ってインターネットで
「豆腐 味 感じない」
と調べた。
結果は匿名掲示板の豆腐disスレが見つかるだけで、
「人類には生まれながらに豆腐の味だけ感じ取れない人がいる」
というような、私の求める情報はなかった。
ただ、その中の意見で
「豆腐は味がないから色々好きにアレンジできていいんじゃん!」という意見を見た時は「じゃあ冷奴じゃなくて醤油と薬味食べとけ!!!!!!」と本気で怒った。アホなのか?(私が)
これは余談だしうろ覚えなんだけど、パクチーの味を石鹸だと感じる人と美味しい薬味だと感じる人は先天的に決まっているらしい。
それを聞いたとき、味覚ってスッゲーーー曖昧だな!!と思ったし、味覚に限らず人が外部刺激によって受け取った情報が必ずしも頭で同じように解釈されてるとは限らないんだなぁーおぼえとこ、と思った 思い出したのはついさっきだけど
多分私にとって虚無の食べ物が豆腐なだけで、人それぞれ虚無の食べ物があるんだと思うんだよね、最近
でも虚無って、好きでも嫌いでもないからわざわざ言わなくない?
私も居酒屋とか冷奴サラダを友達が注文しようとしても、豆腐って虚無じゃん!とかわざわざ言わないし…
冷奴頼むけど半分こする?→いや、遠慮する→豆腐嫌いなの?→いや、嫌いじゃないけど虚無なんだよね→ハ?
みたいなことは多分昔あったけど…
「本当に美味しい豆腐を食べたことがないからだ!美味しい豆腐を食べればわかる」
という意見もわかる、確かに「高い豆腐」はちょっと違うな、という感知はできたよ、私も
でもこの図をみてほしい、普通の食べ物を食べたときの「美味しい」と美味しい豆腐を食べたときの私の感じ方、こんな感じ
わかる?こういう人、美味しい豆腐食べるメリットなくない?
「うん・・・多分これが美味しい豆腐って感じ・・・?なんとなくわかった・・・かも・・・?」みたいな感じで美味しさに集中するとか感動するとか、そういう次元にいないの
豆腐をディスりたいわけではない 私も美味しい豆腐食べて美味しい!て思いたい
最近学んだこと、「豆腐の味理解できないんだよね〜」とかいうと単なる豆腐ディスに取られるけど「豆腐の味だけ知覚できないんだよね・・・」と言うと自分の責任でも豆腐の責任でもなくなる なんの話をしているんだ
まぁこんだけ長々と豆腐について文句言ったけど、今一人暮らししてて豆腐を切らしたことはない。めっちゃ使ってる。
●豆腐ストックのいいところ
・日持ちするし冷蔵庫の中でスペースをとらないから、かさましに良い。
・食感
・体に害はない
・安い
●豆腐の悪いところ
・たまに食べながら「虚無だなぁ」と思ってしまう
・冷奴はやはり虚無 ポン酢と薬味とふるふるした100kcalの物体以上でも以下でもない
そう、この記事を書いたのは私が物心ついたときから、豆腐に触れるたびモヤモヤしていた
豆腐って無じゃない???という気持ちに区切りをつけたかったからだ
豆腐好きな人を否定したいわけでない むしろその味について、知覚できない私に理解できるように説明してほしい 「青色」が見えない人に海の美しさを説明するように、、、
いつかインターネットのどこかで、「豆腐 味 わからない」と検索した人が
この記事を読んで安心してくれるといいですね